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記録なしで5度目の五輪終えた三宅宏実、「集大成」の思い実らず

  
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 東京オリンピックで24日に行われた女子重量挙げ。49キロ級の三宅宏実(35)は、ジャークで99キロを3回失敗してトータルの記録はなし。自ら「集大成」と位置付けた5度目のオリンピックの競技を終え、現役引退を表明した。

女子重量挙げ49キロ級 ジャーク3回目を終えた三宅宏美(24日、東京国際フォーラムで)里見研撮影
女子重量挙げ49キロ級 ジャーク3回目を終えた三宅宏美(24日、東京国際フォーラムで)里見研撮影

 スナッチでは1回目で74キロを挙げたが、1位の中国の選手とは20キロ差。後半のジャークでも自己ベストより7キロ軽い99キロを成功させられなかった。3度目の試技に失敗すると、腰に手を当て、うつむいた後、両手を高く振って会場を後にした。

 女子では柔道の谷亮子以来となる5大会連続出場。「21年間の総まとめ。悔いのないようにその舞台に立てるようにしたい」と競技人生の集大成と位置付けた大会だった。

 メキシコ五輪銅メダリストの三宅義行氏の長女で、東京、メキシコ両五輪金メダリストの義信氏は伯父。次兄の敏博さんも全日本チャンピオンという重量挙げ一家だ。しかし、三人きょうだいの末っ子は、中学まで本格的なスポーツ経験はない。母・育代さんが音大出身で、幼稚園に通うころからピアノを習っていたから、両親は「得意なピアノを生かして音楽教師に」と期待していた。そんな娘が中学三年の秋、突然、「音楽の高校には行かない。ウエート(重量挙げ)をやる」と言い出した。母は「なんで女の子が鉄の塊を持ち上げるの」、義行さんも「冗談だろ」と戸惑った。

 ピアノを習っていた少女にとって「これだけはやらないというスポーツのナンバーワン」だった重量挙げ。しかし、初めて女子が採用された2000年シドニー五輪をテレビで見て、「女性でも、訓練すれば普通の男性より重い物を持ち上げられる」ことに興奮した。やがて父娘の世界への挑戦が始まった。

 娘の決断に戸惑った義行さんだが、すぐに目を見張ることになる。父の本格指導を受け始めてほどない埼玉栄高校進学後、自分の体重に匹敵する42.5キロを持ち上げた。義行さんが同じ年齢の時にやっと挙げた重さだ。驚いた父は「本気で五輪を目指すぞ」。

 親子の闘いが始まった。埼玉栄高時代の2002年に全日本選手権デビュー。トレーニングでは1日に挙げる重量が20トンを超えることもあった。マンツーマン指導が実を結び、アテネ(04年)に初出場。しかし結果は9位。雪辱を期して臨んだ北京(08年)も、股関節痛が響いて6位に沈んだ。

 五輪で念願のメダルをつかんだのは2012年ロンドン大会の銀。16年リオデジャネイロ大会でも銅メダルを獲得し、五輪後には現役続行を表明した。腰に痛みを抱え、けがとの闘いが続いた。若い頃と同じにはいかない。それでも、「東京五輪がなかったら、きっぱり引退していると思う」と、自国開催の五輪に対する思いは特別だった。

 2年半に及んだ予選期間は苦しい戦いが続いたが、序盤戦の成績で国内の選考基準をクリアし、開催国枠での出場権をつかんだ。

 重量挙げ一家に生まれ、自ら選んだアスリートへの道。傍らで見守り続けた義行さんの元に戻ると、1メートル47の小さな体から大きな荷物をおろしたような、解放された表情も見せた。(読売新聞オンライン)

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2231127 0 東京オリンピック2020速報 2021/07/09 15:00:00 2021/07/24 17:59:02 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210724-OYT1I50123-T.jpg?type=thumbnail
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