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自称「ビビりで調子こき」のボクサー・岡沢セオン、九州豪雨乗り越え目指す金メダル

 
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 東京オリンピックのボクシング男子ウエルター級(63~69キロ)は24日、東京・両国国技館で行われる。日本の岡沢セオン(INSPA)は、ガーナ人の父と山形県民の母の間に生まれ、現在は鹿児島県のジムで練習に励む。雄弁で前向きな25歳のサウスポーは「応援してくれる人たちのために、金メダルを取る」と宣言する。この1年間で磨きをかけてきた打たせない防御とスピードを生かして勝ち進めるか。(読売新聞オンライン・込山駿、敬称略)

危なげない防御、大差の判定で出場権確保

サンドバッグを打つ岡沢セオン(2020年2月、都内で)
サンドバッグを打つ岡沢セオン(2020年2月、都内で)

 2020年3月11日、ヨルダン・アンマン。岡沢はアジア・オセアニア予選の5位決定戦で中国の選手に判定勝ちし、本大会の出場権を勝ち取った。

至近距離での打撃戦を仕掛けようとする相手を、さえたボクシングで翻弄した。鋭い右ジャブや多彩な左パンチを突き刺し、軽快なフットワークとしなやかな上体の動きで反撃をかわす。疲れとダメージで相手の動きが鈍ってくると、回転の速い的確な連打も決めて、有効打のポイント差を広げた。

 「僕は、ビビりの調子こき。そんな性格が戦い方に表れていると、我ながら思う。特別なパンチ力があるタイプではない。ただ、アマチュアボクシングという競技は倒し合いというよりもポイントの奪い合い。だから、強いパンチを打ち込むこと以上に、(威力が弱くても)パンチを当てることと、よけることを優先させている。僕の試合を見る人には、相手が『なんでパンチが当たらないんだ』といらだって大振りになる様子を楽しんでもらいたい」

 会心の勝利から約2週間後、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、東京大会の1年延期が決まった。とはいえ、獲得した五輪出場権は維持されたため、岡沢は気持ちを切らすことなく、父譲りのバネに恵まれた体を改めて鍛え込んできた。21年5月には遠征先のロシアで国際大会に優勝するなど、成果はしっかりと表れている。6月末のオンライン記者会見で、五輪本番への意気込みを語った。

 「思ったほどドキドキはなく、ワクワクしている。ここからは本番を想定した対策を丁寧にやれば、最高の状態で試合に臨める。東京オリンピックという舞台を通じて、大好きなアマチュアボクシングという競技を、多くの人に知ってほしい」

高校でデビュー、怖い先輩に絡まれて…

リング上でトレーナーと練習する岡沢
リング上でトレーナーと練習する岡沢

 故郷の山形市では小中学校時代の9年間、レスリングをやっていた。日大山形高では競技を続ける都合がつかず、陸上競技かラグビーに転向するつもりだった。ところが、入学式の日に――。

 「いかにもスポーツのできそうな新入生が来たな」と、不良っぽい学生服を着込んで金時計をした「メチャメチャ怖い1学年上の先輩」に目をつけられた。「てめえ、絶対ボクシング部に入れよ」と絡まれた岡沢は、すっかりおびえて「入ります」と答えてしまう。しらばっくれて帰宅すれば逃げ切れるだろうと思っていたが、ボクシング部のジムは学校からの帰路の途中にあった。ちょうどランニングに出てきた先輩と、その日の帰りに再び出くわし、「おう、ここだ」と引っ張り込まれて部員になった。

 「その先輩とは入部後、仲良くなって、今でもかわいがってもらっている。オリンピック予選についても『がんばれよ』と連絡をくれた。今となっては、ありがたい出会いだった」

「前の手」と頭を使ったボクシング

 漫画みたいに始まったボクシング人生は、その後も人との出会いに恵まれている。

まず、日大山形のボクシング部を指導する佐藤祐平教諭から「前の手の使い方を教わった」。サウスポーの岡沢の場合、相手の近くで構える「前の手」は右だ。右ジャブ、基本的なステップを踏んでまたジャブ、たまに左ストレート。ジャブで相手との距離をはかり、自分に有利な間合いで戦うという基礎中の基礎を、初心者時代にたたき込まれた。

 リング上での実戦練習では「しっかりと攻撃を組み立てろ。それがはまった時こそ、この競技は面白い」と言い聞かされた。闘志むき出しの殴り合いではなく、冷静に相手と駆け引きをしながら戦うのが、ボクシングの楽しさ。それに目覚めた頃、学業の成績も常に学年トップクラスだった岡沢は、しぶしぶ始めたはずの競技にのめり込んでいた。

 佐藤教諭に授かった「頭を使ったボクシング」は、今に至るまで岡沢のモットーだ。

ストイックな年下に学んで開花

 中央大法学部を卒業後、岡沢は鹿児島県鹿屋市で現役を続けてきた。荒竹俊也・県ボクシング連盟強化委員長が営む「ワイルドビースポーツジム」が練習拠点だ。

 高校生らにボクシングを教える県体育協会の指導員として赴任した頃、荒竹委員長の息子で当時は高校1年生だった一真の激しい体力トレーニングや走り込みについて行けなかった。「こんなにもボクシングとしっかり向き合って、死ぬほど練習している年下のボクサーがいるのかと、自分が恥ずかしくなった」。

 練習は量より質だ――という主張に逃げ込んでいた考え方を改めた。後に高校ボクシング界でチャンピオンになった一真が帰るまでは、絶対に自分もジムから帰らないと心に決めた。ハードで、かつ合理的な練習をこなすうちに「体が変わってくるのを実感した」という。

 荒竹委員長は、練習を課すだけでなく、車で移動の送り迎えをしてくれ、家族のバーベキューにも毎回のように招いてくれた。そんな日々を送るうち、岡沢は荒竹家の人々を「家族みたいに思うようになった」。父が昔から留守がちで、もうガーナに帰国してしまったことも手伝ってか、温かみが身にしみているようだ。

東京五輪に臨む男子日本代表の仲間と。前列が岡沢(20年3月)
東京五輪に臨む男子日本代表の仲間と。前列が岡沢(20年3月)

 高校でも大学でも日本一に届かなかった岡沢の才能は、鹿児島で本格的に開花した。全日本選手権を2018年度から連覇し、19年度はアジア選手権準優勝、世界選手権ベスト8、そして東京オリンピックの出場権を獲得。「自分のボクシングは、世界で勝てるスタイルだと思っている」と胸を張れるだけの自信をつけた。

 昨夏、鹿児島は豪雨に見舞われた。鹿屋市のジムも被災し、岡沢が愛用するグラブやシューズ、トレーニング機器も水浸しになった。「やばい――と焦った。早く片づけないと五輪に向けた練習ができないのに、どこから片づけたらいいのかも分からないくらいの荒れ方だった」。それでも、必死で復旧作業にあたった。日本ボクシング連盟を通じて練習用具の支援が届くなどしたこともあり、数日後から徐々に練習を再開できた。

 「あれを経験して『当たり前だと思っていたことが当たり前じゃないんだな』と、僕は気づいた。周りの人の支えのうえで、ボクシングができているんだと思うようになった」

 地域が日常生活を取り戻す過程では、得意料理のバターチキンカレーを炊き出しで70人ほどにふるまった。災害復興を目的とするクラウドファンディングも実施した。ささやかな地元への恩返し。鹿児島との絆が、さらに深まったのを感じている。

目指すは「東京の金メダル」

 岡沢は2021年度、鹿児島や山形などの企業から得るスポンサー料収入で生活しており、「プロのアマチュアボクサー」を自称する。前年度、コロナ禍のステイホームが緩和された時期に、自ら各社を訪ね歩いた。自身のボクシング愛を熱く語り、支援を求めて頭を下げた。そんな努力が実を結び、多様な業種の約20社と契約にこぎ着けられたという。「心おきなく練習用具をそろえ、体のケアに気をつかえる経済的な環境が整った。五輪に向け、より競技に集中できるようになった」。6月の記者会見では、スポンサー各社の名前が入ったTシャツを着て取材を受けた。

スポンサー企業名の入ったTシャツ姿で記者会見し、ポーズをとった(21年6月)
スポンサー企業名の入ったTシャツ姿で記者会見し、ポーズをとった(21年6月)

 鹿児島の人々、日大山形の佐藤教諭、ビビらせてくれた先輩、そしてスポンサー各社――。ボクシング人生を支えてくれる人たちへの思いを胸に、岡沢は言う。「僕が今、大好きなアマチュアボクシングをできているのは、お世話になってきた方々のおかげ。その人たちに地元開催のオリンピックで戦う姿を早く見せたいし、金メダルを取りたい」

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2231309 0 東京オリンピック2020速報 2021/07/24 17:34:00 2021/07/24 17:56:24 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210715-OYT1I50139-T.jpg?type=thumbnail
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