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東京都内での公道走行のスタート地点となった三宅島は、2000年に火山活動が活発化し、全島民が約4年半、島外への避難を余儀なくされた歴史を持つ。島民たちは希望の火を前に「苦難を乗り越え、復興した歴史を全国に伝えたい」と語った。


「アァ、ワッショイ、ワッショイ」――。力強いかけ声が、伝統の「
15日午前、5人目のランナーとなった三宅中2年の山本
山本さんも、2歳の頃からバチを握ってきたメンバーの一人だ。「太鼓は日常生活の一部だと思う。この島の魅力を全国の人に知ってほしい」と語った。
三宅島の歌と踊りは、都の無形民俗文化財に指定されている。木遣太鼓もその一つで、口頭と身振りや手振りで継承されてきた。
保存会によると、太鼓にはみこしを先導する役目があり、約200年前に島の神社の祭りで使われたのが発祥とされる。たたく際に発するかけ声は、山から木材を搬出する時など、大勢の人々が力を合わせる時に歌われた労働歌が基になったという。
そんな伝統芸能も、00年の噴火で危機にさらされた。
同年6月以降、島中央の雄山(775メートル)の火山活動が活発化。9月には全島民の島外避難が決まり、火山ガスの大量放出は05年2月まで帰還を阻んだ。
住民らは、手分けして複数の太鼓を島の外に搬出した。山本さんに太鼓を指導する保存会の前田誠会長(49)は「みんなが演奏している太鼓は、災害から生き延びた大切な道具だ」と誇る。
昨年、新型コロナウイルスの影響で、木遣太鼓を使った祭りは中止された。前田会長は「今日は子どもたちが楽しんでくれた」と話し、「太鼓の文化を次の世代につなげたい。聖火ランナーは、その役目を担ってくれる」と期待を寄せた。
山本さんは、全島避難の後に生まれた世代だが、師匠の言葉に「今ある島の姿がとても長い時間をかけて生まれたことは知っている。しっかり文化を伝承していきたい」と誓った。