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山田、父に誓う金…7年前に他界「いつも頭に」[Tokyo2020+]

 
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主将としてチームを引っ張った山田選手(21日、福島県営あづま球場で)=吉野拓也撮影
主将としてチームを引っ張った山田選手(21日、福島県営あづま球場で)=吉野拓也撮影

 東京五輪のソフトボール日本代表は、21日の開幕戦で豪州代表を破り、白星でスタートした。主将の山田恵里選手(37)(デンソー)にとっては3度目の五輪。7年前に急死した父、良彦さんへの思いを胸にグラウンドで躍動した。(石坂麻子)

4回に中前打

 「3大会で一番プレッシャーがかかっている。主将として背負っていかないといけない」。コールド勝ちしたが、その表情は引き締まったまま。2004年アテネ五輪、08年北京五輪に続く出場はエースの上野由岐子選手(38)と2人だけだ。

 この日は、中堅手として先発出場し、四回に中前打を放って先発投手をマウンドから降ろした。その後の犠飛で、6点目のホームを踏んだ。

 2人の兄の影響で、小学1年の時に野球チームに入った。中学は野球部唯一の女子部員でレギュラー。女子は「甲子園」には出られないと知り、高校からソフトボールを始めた。

 走攻守そろった外野手で、日本リーグの通算安打記録を更新し続ける「ソフト界のイチロー」。打点も歴代トップに立つ。その高い身体能力は競輪選手だった父親譲りだ。

 良彦さんは2002年に競輪選手を引退すると、いつも試合を見に来てくれた。勝っても負けても終了後、決まってかけられる言葉は「お疲れさん」。勝負の世界で生きた父は、それ以上、口にしなかった。

 過去2度の五輪を現地で応援した父は60歳だった14年7月24日、心筋 梗塞こうそく で急死した。試合後のねぎらいの一言も聞けなくなった。「いるのが当たり前だと思っていた。もっと話しておけば良かった」

 北京大会後、ソフトボールは五輪競技から外れたが、東京大会で3大会ぶりに復活した。2020年の大会は、良彦さんの誕生日の3月26日に聖火リレーが始まり、命日には開会式が開かれる予定だった。

 「父に頑張れと言われているような巡り合わせ。活躍して、生前できなかった親孝行をしたい」と誓った。だが、新型コロナウイルスの感染拡大で大会は1年延期になった。

 自宅待機が続き、久しぶりに練習した時、自分は本当にソフトボールが好きなんだと実感した。「父が亡くなった時と同じで、当たり前だと思っていた日常の大切さが改めてわかった」

 神奈川県藤沢市の実家の仏壇には、北京五輪の金メダルを首から下げて笑う良彦さんの写真が飾られている。初戦を終え、父について尋ねられると、「いつも頭のどこかにいる。良いプレーを見せたいという気持ちが強い」と語った。

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2224351 0 東京オリンピック2020速報 2021/07/21 15:00:00 2021/07/21 15:00:00 日本代表の山田恵里(21日、福島県営あづま球場で)=吉野拓也撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210721-OYT1I50087-T.jpg?type=thumbnail
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