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「きわもの扱い」だった女子サッカー…「元祖なでしこ」の使命感

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 サッカー日本女子代表(なでしこジャパン)は27日、決勝トーナメント進出を懸けてチリ戦に臨む。9月に開幕する日本初の女子プロリーグ「WEリーグ」の初代チェア(理事長)・岡島喜久子さん(63)は日本女子サッカーの 黎明れいめい 期を知る<元祖なでしこ>。「なでしこの活躍が女子サッカーの新たな挑戦の力になる」と期待する。(有留貴博)

FCジンナンでプレーする岡島さん(1983年3月、中央)=岡島さん提供
FCジンナンでプレーする岡島さん(1983年3月、中央)=岡島さん提供

 岡島さんがサッカーを始めたのは1972年、中学2年の時。男友達が楽しそうにプレーする姿を見てサッカー部に入った。練習だけでなく試合もしたいと、雑誌で女子クラブチームのメンバーを募集しているのを知り、すぐに応募した。

1984年、中国遠征時の日本女子代表。岡島さん(前列左端)は主務として参加した。後列で立っているのが高倉監督=岡島さん提供
1984年、中国遠征時の日本女子代表。岡島さん(前列左端)は主務として参加した。後列で立っているのが高倉監督=岡島さん提供

 チーム名は日本サッカー協会のあった渋谷区神南にちなみ「FCジンナン」。女子チームの数はわずかで、対戦相手の確保に苦労した。ボールを胸で受けてトラップする様子をメディアでからかわれたこともある。女子サッカーは「きわもの扱い」だった。

 77年、台湾で行われたアジア女子選手権。当時、日本サッカー協会が編成する女子代表はなく、ジンナン単独で参加したが、他国は代表チームを結成して派遣していた。

 「日本は遅れている」。帰国後、代表チームの結成を訴え、81年に女子の日本代表が初めて組まれた。

 今の女子代表の高倉麻子監督(53)は、ジンナンと代表の後輩にあたる。中学1年だった81年に入団し、自宅のある福島市から週末に片道3時間かけ、ジンナンの練習に通っていた。

 代表メンバーは誰もが仕事や学業の合間に参加した。遠征費は自己負担。20万円を親に借金して欧州遠征に参加した選手もいた。岡島さんは「本当にサッカー好きな人ばかりだった。自分たちが頑張らなければ次世代に続かない、という使命感があった」と振り返る。

 日本女子はその後、急成長を遂げ、2011年のワールドカップ(W杯)制覇、12年のロンドン五輪銀メダルにつながった。しかし最近は欧州を中心に女子のプロ化が進み、トップとの差は再び開きつつある。16年リオデジャネイロ五輪は出場できず、19年W杯は16強にとどまった。

 危機感を抱いた日本サッカー協会が19年11月に新設を決めたのが日本初の女子プロリーグ「WEリーグ」だ。WEは「Women Empowerment(女性の権利拡大)」を意味し、女性の社会進出への貢献を理念に掲げる。

 自国開催の五輪での代表の活躍は、新リーグ開幕への後押しになると信じている。岡島さんは「女子サッカーは何度も壁を乗り越えてきた。最後まで諦めないプレーを」と願った。

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2238644 0 東京オリンピック2020速報 2021/07/27 15:17:00 2021/07/27 15:17:00 FCジンナンでプレーする岡島さん(中央、岡島さん提供) https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210727-OYT1I50158-T.jpg?type=thumbnail
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