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北京の雪辱へ…侍J稲葉監督

   
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初戦を前に練習で汗を流す侍ジャパンの田中(右から2人目)ら(28日、福島県営あづま球場で)
初戦を前に練習で汗を流す侍ジャパンの田中(右から2人目)ら(28日、福島県営あづま球場で)

 野球日本代表「侍ジャパン」の稲葉篤紀監督(48)が決戦の地に足を踏み入れた。28日午後、1次リーグ開幕戦でドミニカ共和国と対戦。試合前の福島県営あづま球場で、準備を進める選手を見つめ、小さくうなずいた。見上げる空はあの日より、少し厚い雲がかかる。

 「今でもあれは忘れない」

 13年前の夏、稲葉監督は北京の野球場にいた。星野仙一監督(故人)が率いる五輪代表に選ばれ、右翼手としてフル出場していた。韓国との準決勝は七回に追いつかれ、2―2となる。八回、当時巨人に所属していた韓国・李承●の打球は右翼へ上がった。(●は火へんに華)

 「捕れる」。一瞬、そう感じた。目で追いながら後ろに下がる。下がって、下がって、フェンスに左手をついた。「ああ、行ってしまった」。手痛い2ランが頭上を越え、金メダルへの道が途絶えた。翌日の3位決定戦でも米国に敗れた。

 野球が五輪で行われる最後の北京大会で、目標の「金」はおろか、メダルすら逃した。「何かもっとできたのではないか」。帰国しても気分は晴れない。旧知の知人に会うと、ぶっきらぼうに告げた。「ジャパンのユニホームとか、いりますか」。苦い記憶をよみがえらせる品々を手放したい衝動にさえ駆られた。

 8年が経過した2016年夏、東京五輪での野球の復活が決まった。20年間に及ぶ現役生活を終えた2年後のことだ。日本代表でコーチを務めるなど指導者としての道を歩む中、今度は監督就任を打診された。「リベンジするチャンスをいただけた」。重責を感じながらも、大役を引き受けた。

 自宅には、かつて袖を通した3枚のユニホームが飾られている。所属した日本ハム、日本が連覇した09年のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)、そして結局、手元に残った北京五輪。「いい思い出は一個もないけど、私のジャパンとしての原点。これを忘れちゃいけない」

 雪辱の戦いが始まった。(深井千弘)

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2241512 0 東京オリンピック2020速報 2021/07/28 15:00:00 2021/07/28 15:06:22 初戦を前に練習で汗を流す侍ジャパンの田中(中央右)ら(28日、横浜スタジアムで)=吉野拓也撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/07/20210728-OYT1I50133-T.jpg?type=thumbnail
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