完了しました
素根「金」…柔道

東京五輪は第8日の30日、日本勢が金メダル2個を獲得し、計17個で1大会の過去最多となった。これまでは1964年東京、2004年アテネ両大会の16個だった。フェンシング男子エペ団体決勝で日本(加納

柔道女子78キロ超級は、初出場の
世界ランキング8位の日本が、同7位でやや格上のロシア・オリンピック委員会(ROC)を圧倒し、日本フェンシング界に初優勝をもたらした。
団体戦は、各3人が総当たりで戦う。1試合は3分で原則、どちらかが先に5本を取ると交代。決勝の第1試合で、エースの山田が5本先取で勢いをつけた。
10年以上の「エペ」強化が実った。競技としてのフェンシングは昭和初期、欧州留学の帰国者が伝えた。この時の種目は両腕と頭部以外の胴体を突く「フルーレ」。技術勝負だから小柄でも勝てる。その後に入ってきたエペは突く場所に制限がなく、腕の長さなど体格に左右される面もあり、日本で敬遠されがちだった。
太田雄貴の2008年北京五輪での男子フルーレ個人銀を契機に、一層の競技普及を目指す強化が始まった。本場の欧州で最も競技人口が多く「キング・オブ・フェンシング」と呼ばれるのはエペ。10年に実績あるウクライナ人コーチを招いた。同時に有望な若手の適性を見極めたところ、フルーレよりもエペに向いている選手もいた。腕が長く、動きが俊敏な中学生当時の山田もそうだった。
「絶対に勝てると信じていた」と山田。新たな伝統の第一歩を踏み出し、メンバーは固く抱き合った。(畔川吉永)