47年ぶりのアメリカ戦~バスケットワールドカップ(W杯)、日本の戦いは

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「アメリカ代表の威圧感は昔も今も変わらない」と話す、結城さん(右)と千種さん
「アメリカ代表の威圧感は昔も今も変わらない」と話す、結城さん(右)と千種さん

 バスケットボールのワールドカップ(W杯)に出場した日本男子は強豪揃いの1次リーグで3戦全敗、下位順位決定リーグを含めて通算0勝5敗の31位(出場32チーム)で全日程を終え、世界の厚い壁を痛感した。9月5日の第3戦は世界ランク1位のアメリカに45-98と完敗した。男子フル代表が国際大会の公式戦で米国と戦うのは1972年ミュンヘン五輪以来のことだった。ミュンヘン大会を経験した元代表選手など、かつて五輪の舞台で日の丸を背負ってバスケットリングに向かったオリンピアンは、47年ぶりの米国戦をどう見たのだろうか。

結城昭二さん(69) 1976年モントリオール大会出場

惜しまれたシュート力不足

 アメリカの選手構成はディフェンス重視。オフェンスで際立った選手はそれほどいなかった。47年前の米国は大学生選抜で、日本は33-99で負けたが、今回も力の差は歴然としていた。シュートが入らなかった。特にノーマークシュートの確率の差だ。米国はノーマークを確実に入れてくるし、難しいシュートも入る。日本がノーマークを確実に入れていれば、難しいシュートを落としたとしても何とか戦えたのではないか。

 バスケットは流れが重要だ。八村塁(ウィザーズ)がダンクする、馬場雄大(A東京)が速攻で行く、それをきっかけにチームが盛り上がる。それがリズムというものだ。そこでシュートを失敗しているのでリズムに乗れない。

 体格の小さい日本は本来、シュートがうまかった。なぜなら、中(インサイド)でプレーさせてもらえなかったから、外で、インサイドと同じくらいの確率で決めないと通用しなかった。そういう歴史があって、シュートの強化をしてきた。私たちの時代は五輪に出るためには宿敵の韓国を倒さなくてはいけなかったから、1975年アジア選手権(モントリオール五輪アジア予選)で事実上の決勝となった韓国戦は壮絶な試合だった。当時は3点シュートがなかったが両方とも100点台のゲーム。ほとんどシュートを落とさなかった。

象が背中に圧し掛かってくる…

米国戦で厳しいマークにあう八村
米国戦で厳しいマークにあう八村

 チームの基本的な動きにも課題が見えた。米国は速いパスが回っていた。ボールを持っていない他の4人の選手も1対1をして、有利な状況を作っているからパスが回りやすい。センターがダブルチームされてシュートが無理だと判断すれば、センターに合わせている他の4人の誰かにパスを出す。ノーマークか、それに近い状況で受けた選手が確率良くシュートを決める。

 だが、日本は八村がボールを持つと、他の選手は(八村が)何とかしてくれるだろうと思い、動きを止めてしまう。八村には2人3人とマークが厳しくつき、外に出すところがなく、苦しいシュートをしてしまう。

 国際大会で戦うことの苦しさは、象が背中にのしかかっているようなものだと思う。相手を押してもびくともしない。逆に飛ばされるくらいのパワーを感じる。米国はディフェンスが強いチームだ。数字を見れば一目瞭然で、失点が少なく、相手のターンオーバーが多い。今大会でも2次ラウンドまでの5試合で平均66失点は全チーム中2番目に少ない数字だった。ここを通るパスだと思って出したら、長い手に阻まれたとか、国内の感覚でシュートしたらブロックされたとか、日本はこんなはずじゃない、という感じで終わってしまったのではないか。

2020年に向けて

 日本は、相手ディフェンスのプレッシャーが強いためにボールがスムーズに回っていなかった。モントリオール大会以来の出場となる東京五輪に向けて、ボールキープ力(コントロール)とシュート力のあるポイントガードの育成が必要だろう。ガード陣の大型化も避けては通れない。そして、アウトサイドシュートの強化だ。シューティングガードとスモールフォワードが、世界選手権ではほとんど機能していなかった。私たちの時代は代表合宿で毎日1000本入れるシュート練習をしたものだ。

 1対1の強化にも目を向けてほしい。日本のオフェンスシステムは、ピック・アンド・ロールを主体に組み立てているが、攻撃の基本である1対1で相手をやっつけられていない。

 また、フィジカルの強い相手と走り合ったら日本は敵わず、24秒を有効に使ったコントロールバスケットでロースコアの展開に持ち込めば勝機も広がるだろう。

 ディフェンスでは相手をノーマークにする状況が目立った。コミュニケーション不足だったのか、ローテーションの失敗なのか、ボールマンへのプレッシャーが弱かったのか、総括して強化を進めてほしい。ルーズボール、リバウンド、ターンオーバーを誘うなどのプレーへの執着心も勝敗に大きく影響することを忘れないでほしい。

 米国との差は47年前と変わらないが、選手の素材、能力、環境などは間違いなく向上している。今後の強化次第では、東京五輪で上位を狙える存在になるだろう。

 ゆうき・しょうじ 中央大時代に日本代表に選出される。住友金属、日本代表ではシューターとして活躍し、日本リーグ優勝3回などを経験。身長1メートル84。現役引退後は日本代表アシスタント・コーチやNBA(米プロバスケットボール協会)解説者を務めた。

千種信雄さん(70) 1972ミュンヘン大会、1976モントリオール大会出場

昔も今も…米国の強烈な威圧感

 ミュンヘンが66点差、今回が53点差。両方とも完敗だった。

 八村や渡辺雄太(グリズリーズ)などを除いて海外経験のない日本選手の思いは、私たちが47年前に経験したことと同じではなかったか。アメリカ選手の攻守の威圧感、緩急に翻弄されてしまった。それは昔も今も変わっていない。

 米国は攻撃がバラエティで派手なチームだと思われがちだが、本当はディフェンスが強い。空中戦やルーズボールへの執着心もすごく、フィジカルが強くて手も長い。こちらはメンタル的に「これはどうしようもない」と委縮してしまう。私たちも、ミュンヘンの時は、あっと言う間に圧倒された記憶だった。

 ビッグ3(八村、渡辺雄、ファジーカスニック=川崎=)がいるのでミュンヘンと比べるとディフェンスリバウンド力はアップしたが、第1クオーターの開始からアメリカの守備のプレッシャーに対し、日本はルック・ザ・ゴール(常にゴールを見て瞬時に敵味方の状況を判断する攻撃の基本)が出来ていなかった。センター、パワーフォワードも通用しなかった。「ビッグ3」がいても全体としては通用しなかった。

大型ガードの待望

 ミュンヘンで対戦した米国チームは大学生選抜で、マンツーマンのディフェンスをベースとしたオーソドックスな試合展開だった。ただ、(米国代表の)7、8人目から下は、(実力が)がたっと落ちていた。決勝では残り3秒からのゲームやり直しという「疑惑のジャッジ」もあったとはいえソ連に負けた。米国が五輪で初めて金メダルを取れなかった歴史的な大会だった。

 あのころ、個人的にはシュートやドリブル突破などで世界に通用する自信はあった。ただ、チームとして見れば体格差があるからディフェンスができない。フィジカルコンタクトが弱い。それが課題だった。今のチームでは、渡辺雄はあの身長(2メートル08)で走れる。彼はどちらかと言えばフォワードだが、シューティングガードにしたらいいんじゃないかと思う。また、馬場や田中大貴(A東京)がガードを兼ねながら強化していけば良いチームになるのではないか。

2020年に向けて

米国戦でチーム最多の18点を挙げた馬場
米国戦でチーム最多の18点を挙げた馬場

 W杯で、自分のフィジカル面とバスケットの基本技術の不足をどう感じたか。基本技術とは「ルック・ザ・ゴール」「歩幅を広く低く」「ピボットフット」「バックターン」「ドリブル(緩急、縦のプレー、縦のフェイク)」。そしてシュートは、毎日1000本打つぐらいの気持ちで取り組まないといけない。

 次に、その基本技術を指導者が繰り返し教えることだ。メンタル面では、ルーズボールに飛び込まなかったら恐怖心を払しょくするために繰り返し練習させる。基本がなぜ大切かを選手に説明し、指導者も妥協しないことだ。オフェンスリバウンドやルーズボールをとれば、チームの加点につながる。シュートが入ればいいということではなくて、ルーズボールやリバウンド、スチールに対する評価をきちんとしてやることだ。

 私たちの時代には日本協会と米国の大学とのパイプがあった。ミュンヘン後に行われた米国ポートランドでの合宿は貴重だった。大学の選手や、今だから言えるがトレイルブレイザーズの選手も来てくれて合同練習やゲームを何回もやった。基本をたたき込まれ、しっかりやれば日本人でもアメリカ人のやっていることができるのだという自信につながった。同じ身長なら米国の選手につかれても怖くない、というメンタリティーができ、その経験が4年後のモントリオール出場につながった。

 今年のサマーリーグには4人の日本選手が参加した。馬場はその経験から得た積極的なプレーがW杯で出来ていた。田中、比江島慎(宇都宮)、馬場あたりが成長すれば東京五輪は期待大となる。

 ちぐさ・のぶお 大阪商大、住友金属を通じてシューターとして活躍。日本リーグ優勝3回。47年前のミュンヘン大会では米国戦など6試合に出場した。身長1メートル88。現役引退後は住友金属の監督などを務めた。

W杯 アメリカ戦プレーバック(2019年9月5日)

 日本 45   9-23  98 米国
        14-33
        8-28
        14-14
 大会3連覇を目指す米国は全員がNBA選手。序盤からプレッシャーをかけ、日本の攻撃ミスを誘って一方的に得点を重ねる。日本は開始4分半まで無得点。フィールドゴール(FG)による初得点は5分半過ぎだった。ディフェンスをゾーンに変えて悪い流れを断ち切ろうとするが、米国は3点シュートや速攻を緩急自在に決めて点差を広げた。エース八村塁は、厳しいマークにシュートチャンスすら消されて24分間の出場でわずか4得点。NBA所属の渡辺雄太も9得点。フォワードの馬場雄大が突破力のあるシュートでチーム最多の18得点と気を吐いたが、チーム全体のFG成功率は27%にとどまった。リバウンドでも33-58(オフェンスリバウンドは8-20)と世界ランク1位の相手に攻守に圧倒された。

ミュンヘン五輪 1次リーグA組(1972年9月3日)

ミュンヘンオリンピックのアメリカ戦。ゴール下で競り合う日本の15番は沼田宏文。7番は阿部成章(1972年9月3日)=AP
ミュンヘンオリンピックのアメリカ戦。ゴール下で競り合う日本の15番は沼田宏文。7番は阿部成章(1972年9月3日)=AP

 日本 33  18-51  99 米国
        15-48
 当時は20分ハーフ制。日本は前半に大量リードを許すと、試合の流れを呼び込めないまま終わった。国際バスケットボール連盟(FIBA)の資料によると、リバウンド数は16-41で、日本のトップスコアは森哲(住友金属)の9点。日本は1次リーグA組で8チーム中7位。最終成績は16チーム中14位だった。

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789019 0 企画・特集 2019/09/11 10:00:00 2019/09/11 11:13:05 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/09/20190910-OYT8I50009-T.jpg?type=thumbnail

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