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日本代表のエースは「時短勤務中」…シッティングバレー女子・小方は家族と共に夢舞台へ

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 東京都北区役所に一人の「公務員パラリンピアン」がいる。シッティングバレー女子の小方 心緒吏(しおり) (35)だ。日本のエースアタッカーは、時短勤務で仕事と育児に追われる毎日を過ごしながら、パラリンピックを戦う。(読売新聞オンライン・古和康行、敬称略)

日本代表は「時短勤務」中

高校卒業後、区役所に入庁。仕事・家事・競技の両立に取り組む(撮影時のみマスクを外しました)
高校卒業後、区役所に入庁。仕事・家事・競技の両立に取り組む(撮影時のみマスクを外しました)

 東京都世田谷区で、夫・剛さん(37)と長女・千彩ちゃん(8)、長男・祐ちゃん(6)と暮らしている。

 右膝に 大腿(だいたい) 骨肉腫を発症した。手術後は人工関節が脚に埋め込まれていて、激しい運動はできない。それでも、長男の保育園の迎えには電動自転車で向かう。左足でこいで、右足は添えるだけ。「電動自転車ならそれでも十分ですからね」。温和に笑う。

 仕事は休憩時間を短縮する制度を活用した時短勤務だ。朝8時半に出勤し、午後4時半に退勤する。パラリンピアンらしく、退勤後は練習かと思いきや、そうでもない。帰って、子どもたちにご飯を食べさせて、お風呂に入れて、寝かしつけてベッドに入れば、もう夢の中。剛さんが寝かしつけをする時も、洗濯物をたたんで、お 茶碗(ちゃわん) を洗って、時計を見たら「あぁこんな時間か」とソファで眠ってしまうこともある。

 3度目のパラリンピック出場を決めた「日本のエース」にも、仕事と育児の両立はハードだ。

「リハビリ」と思っていたけど…

 東京都足立区出身で、2人の姉も母もバレーボールに打ち込む「バレー一家」だった。中学はバレー界の名門・文京学院大女子中に進学し、将来を嘱望されていた。同級生たちは、中学の全国大会で準優勝、高校でも「春高バレー」で準優勝している。しかし、両大会の決勝コートに、小方は立っていない。

 中学3年の春、足首の捻挫の治療のため訪れた整形外科で、ついでに痛みが続いている膝も見てもらった。そこに映った「骨肉腫」の影。即座に専門病院に紹介状を書かれ、検査入院、手術が決まった。検査手術を終えた翌日、両親と共に診察室に呼ばれた小方に、医師はこう告げた。

日本パラバレーボール選手権大会でプレーする小方(2019年12月撮影)
日本パラバレーボール選手権大会でプレーする小方(2019年12月撮影)

 「1年間入院です」「激しい運動は今後できません」

 頭が真っ白になった。悲しいとか、悔しいとか、怒りとかそういう感情がわき上がることもなく、ただただ、何も考えられなくなった。

 当時、小方はチームのレギュラーでもあった。小学6年で165センチという長身を買われて誘われた名門中では「なんとか置いていかれないように」必死で練習に食らいつき、やっとつかんだレギュラーだった。それだけに、医師の「1年間の入院」という言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡り、ただただ涙が流れた。

 1年間、院内学級へ通うため、中学を離れた。荷物を取りに母校を訪れると、バレー部のメンバーから「全中で優勝するから」「治療を頑張って」と声をかけられた。大会前には、週1回の休養日にローテーションでお見舞いにもきてくれた。ただただ、その優しさがうれしかった。「その頃は、純粋に応援していました」と笑顔で語る。

 ただ、治療が終わった時に心境の変化が起きた。高校1年生で文京学院大女子高に編入することとなり、約束通り、バレーボール部のマネジャーに「復帰」した。本当はうれしいはずだが、なぜだかそうも思えない自分がいた。

 治療の不安がなくなり、心の緊張が解けてきた2001年春。安心と共に、バレーを楽しむチームメートに妬ましさを感じるようになってきた。自宅でもふさぎ込むことが増えていった。そんな時、母が誘ってきたのが「シッティングバレー」だった。

 「障害者のスポーツでしょ……?」「リハビリ? お遊び?」

 元々、世代のトップを走るチームのレギュラーだ。心の底に湧いた薄暗い感情を押し込めて、さらりと断ったが、母はしつこかった。

 「1回でいいから行ってみないか」

 あまりのしつこさに小方も音を上げた。「1回練習に行ったら、もう二度と言わないでよ!」。半ばヤケクソになりながら、都内で行われていた練習に参加した。

 練習に参加すると予想外の世界だった。できると思っていたことがまるでできない。想像以上に動きは激しく、自由に動き回れるバレーボールと違い、座ってプレーする技術的な難しさに驚いた。

 そこで、心に火がついた。「悔しい」――

 母の思惑通り、小方はシッティングバレーに熱中していく。その2か月ほど後、02年の世界選手権のメンバーを選考する強化合宿に呼ばれ、そのまま代表入りを果たす。高校2年生では、スロベニアで行われた世界選手権に「日本代表」として出場することになった。

仕事中の小方。北区役所で住民からの申請受け付けなどの業務を行う
仕事中の小方。北区役所で住民からの申請受け付けなどの業務を行う

 そこから、小方はシッティングバレーにいよいよのめり込んでいく。当時のシッティングバレーには、国や企業から強化費が出ておらず、選手は全て手弁当で活動していた。海外遠征に行くたびに30万~40万円の費用がかかる。「学びたいこともなかったし、自分のお金で遠征に行きたかった」と、進学ではなく就職することを決断。長期の休みを取りやすいという理由で北区役所に入庁する。若くして日の丸を背負うことになった小方はその後、チームのエースとして代表を引っ張り、北京とロンドンの両大会に出場する。

 両大会ともメダルこそ逃したものの、名門中・高で培った技術を生かした。力強いスパイクを武器にチームのアタッカーとして、日の丸のエースとなっていく。出場を逃した16年リオ大会の雪辱を目指し、周囲の期待も大きい。

パラが終わったら「テーマパークに」

 小方は週1回、兵庫県姫路市での代表合宿で練習を重ねてきた。その間、育児を担うのは剛さんだ。今年2月に結婚10周年を迎えたが、コロナ禍で旅行にも行けず、ケーキを食べるにとどまった。合宿での練習となれば、1人感染者が出るだけでチームに大きな打撃となる。ひたむきに日々を暮らしながら、大舞台を待っている。

 2度の出産を経て、代表の活動から離れたことはあった。それでも、努力を重ねて2度のパラリンピックへの出場を重ね、今回、東京大会への切符をつかみ取った。小方は自分がプレーをしていることについて、「家族にバレーをさせてもらっている」と繰り返す。

小方の家族写真。インタビューでは「家族に支えられている」と感謝の言葉を口にしていた
小方の家族写真。インタビューでは「家族に支えられている」と感謝の言葉を口にしていた

 最近、長女の千彩ちゃんが学校の授業でパラリンピックの話を聞いて帰ってきた。「ママ、これに出るんだよね?」とたずねてきたことが、うれしく、少し照れくさい。「親が頑張っている姿を見せることって、子どもの成長にとって大切なことだと思っている」。世界中の親たちの切実な願いを、このパラリンピアンもまた感じている。

 大会が終わったあと、何かしたいことは? そう問われた、小方は少し考えてこう言った。

 「USJかディズニーランドに連れて行ってあげたいかなぁ……」

 子どもたちの「夏の思い出」の一ページには、パラリンピアン・小方の活躍もきっと刻まれることだろう。

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2305964 0 東京パラリンピック2020速報 2021/08/23 10:01:00 2021/08/23 11:32:34 第23回日本パラバレーボール選手権大会。東京プラネッツ女組の小方心緒吏。武蔵野総合体育館で。2019年12月14日撮影。 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/08/20210820-OYT1I50110-T.jpg?type=thumbnail
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