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太田雄貴先輩へ剣の誓い…メダル獲得「負けられない」

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車いすフェンシングの藤田道宣選手は、右手は握力が弱いため、剣と手をテープで固定して試合に臨む(2020年9月、京都市南区で)
車いすフェンシングの藤田道宣選手は、右手は握力が弱いため、剣と手をテープで固定して試合に臨む(2020年9月、京都市南区で)

 車いすフェンシング男子の藤田道宣選手(34)(日本オラクル)は26日のエペ個人戦で、パラリンピック初出場を果たす。ずっと胸に抱いてきたのは、15年前に病床で交わした高校時代の先輩で五輪メダリストの太田雄貴さん(35)との約束だ。(上田惇史)

 大けがを負ったのは、龍谷大でフェンシングに打ち込んでいた2006年夏。海水浴で海に飛び込んだ際、 頸椎けいつい を損傷。胸から下がまひした。

入院中の藤田選手(右)を見舞いに訪れた太田さん(左端)(2006年12月)=藤田選手提供
入院中の藤田選手(右)を見舞いに訪れた太田さん(左端)(2006年12月)=藤田選手提供

 同年12月、太田さんが病室に見舞いに来てくれた。「車いすでもフェンシングはできる。俺は五輪で必ずメダルを取るから、お前はパラリンピックでメダルを取れ」。先輩からの激励に希望がわいた。

 熊本県上天草市の寺院の長男に生まれ、僧侶になるため京都市の平安高校(現龍谷大平安高校)に進学。未経験ながらも強豪のフェンシング部に入った。1学年上に太田さんがいた。

 太田さんは当時すでに日本チャンピオンで「雲の上の人」。遠征などで忙しく、部活に来るのは1年の半分ほどだったが、「うまくなっているよ」「頑張れば絶対に強くなれる」と、いつも褒めてくれた。自分には厳しいが、後輩には優しい。そんな先輩の背中を追って猛練習を重ね、3年の時にはインターハイに出場。大学でも競技を続けた。

 事故後、「もうフェンシングはできない」と落ち込んだが、太田さんの言葉に励まされ、3年後には車いすフェンシングを本格的に始めた。

 しかし、けがの前と後では、フェンシングは全く違うスポーツになっていた。腹筋と背筋は使えず、右腕の握力がほとんどないため、剣はテーピングで固定しないと持つこともできない。以前は相手の出方をうかがいながら隙を突くのが得意だったが、相手との距離が固定されている車いすでは考える暇なく攻める必要があり、戦術の変更も迫られた。

 藤田選手は、最も障害の重いCクラスに当たるが、パラはより障害の軽いBクラスまでしかなく、不利になるため、なかなか出場権を得られなかった。励みになったのは、やはり太田さんの存在。08年北京、12年ロンドンと2大会連続で五輪銀メダルを獲得し、「自分も負けていられない」と気持ちを奮い立たせた。18年のアジアパラ大会で銀と銅メダルに輝き、東京大会の代表を射止めた。

 フェンシングは、性格が出る競技といわれる。役立っているのは、大学院時代に臨床宗教師の資格を取得するために受けた研修だ。被災地やホスピスなどを訪ね、相手の話に耳を傾けて寄り添った。「自分の発言を相手はどう受け止めたのか。かけた言葉は正しかったか」。自省を繰り返す中で、相手の心を読み、自分の気持ちを冷静に分析する能力を磨いた。

 今年7月、母校の高校で激励会が開かれた。久々に剣を交えた太田さんから「パラリンピックに出場できることは本当に素晴らしい。同じような境遇の人に、勇気を与えるプレーを心がけてほしい」と言葉をかけられた。

 あの日の約束から15年。藤田選手は「遅くなってしまったが、やっと約束をかなえることができた。メダルを取って先輩に報告したい」と意気込んでいる。

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2313565 0 東京パラリンピック2020速報 2021/08/25 15:52:00 2021/08/25 18:28:54 車いすフェンシング・藤田道宣選手。東京パラリンピックを目指すが、日本代表はまだ決まっていない。右手は剣を握る力がなく、藤田選手は、練習前に剣のグリップと自分の手をテープで固めた。「強い選手は基本の形が身についいる。延期は自身の形を見直す良い期間。理想の動作を繰り返し、より強くなりたい」と闘志を燃やす。京都市南区の旧市立山王小学校で。2020年9月26日撮影。同年10月26日夕刊[ズームアップ]「夢舞台へ 今こそ強く パラアスリートたち」掲載。 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/08/20210825-OYT1I50087-T.jpg?type=thumbnail
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