ニュース

師匠はライバル、ともに大舞台へ…幅跳び・小須田「いつか超えたい」

 
メモ入力
-最大400文字まで

完了しました

 交通事故で右脚を失った小須田潤太選手(30)(オープンハウス)は、北京、リオデジャネイロ大会の銀メダリスト・山本篤選手(39)(新日本住設)の姿に憧れてパラ陸上を始めた。指導を受け、「いつか超えたい」と背中を追った先に、東京大会があった。「師弟」は28日夜、男子走り幅跳び(義足)にそろって出場する。(松田祐哉)

大会に向け、一緒に練習する小須田選手(右)と山本選手(7月14日、大阪府熊取町の大阪体育大で)
大会に向け、一緒に練習する小須田選手(右)と山本選手(7月14日、大阪府熊取町の大阪体育大で)

 2012年3月31日。勤務先の引っ越し会社の繁忙期に、疲れから居眠り運転し、気付くとトラックが横転。右脚の膝より下がなくなっていた。その場で一度、目をつぶってみたが、現実は変わらなかった。

 脚を切断しても妙に冷めていた。適当に選んで進んだ大学は2年で中退。今思えば、「目標もなく、何となく生きていた」からだ。

 入院中、理学療法士に何度もスポーツを勧められたが、その気にならなかった。義足での走り方を教えるイベントに参加したのは、事故から3年以上たった15年8月だった。

 講師は、日本の義足の陸上選手で初めてメダルを獲得した山本選手。競技を通じて世界が広がった経験から、障害者向けに陸上の普及と、後進の育成に取り組んでいた。

 跳ねるように駆ける姿に、小須田選手は「本当にかっこいい」と一目ぼれ。久々の運動で汗をかき、体を動かす心地よさを思い出した。夜の懇親会で、山本選手から「たばこはやめろ」と言われると、その日から禁煙した。

 本格的に始めたかったが、競技用義足は70万~80万円。二の足を踏んでいた時、山本選手から連絡があった。「近くに行く用事があるから一緒に練習しよう」。山本選手が以前使っていた義足を借りて走った。

 小須田選手は約半年後に出た大会で、100メートルと200メートルで上位に食い込んだ。「東京パラ出場」。人生で初めての目標のため、アスリート活動を支援してくれる就職先を探し出した。

 「脚を切断してからはできなくなったことばかり考えていた。でも、義足にはできることがたくさんある。それはすごく楽しい」

 会社に頼み、山本選手が拠点とする大阪に異動。大阪体育大で直接指導を受けながら、練習を重ねる。どうしたら速くなれるのか、遠くに跳べるのか――。トップアスリートが常に頭を使っていることを肌で感じている。

 今年4月に更新した自己記録は5メートル88。山本選手には82センチ及ばないが、国内では次ぐ位置までたどり着いた。「まだまだかなわないですけど、いつか篤さんに勝ちたいっすね」。憧れで、超えるべきライバルだ。

 山本選手は「一緒にトレーニングし、パラへの出場をアシストできたのはうれしい」と語り、ともに立つ大舞台を心待ちにする。

無断転載・複製を禁じます
スクラップは会員限定です

使い方
2321679 0 東京パラリンピック 2021/08/28 15:00:00 2021/08/28 15:24:54 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/08/t-shishou.jpg?type=thumbnail
続きを読む

「陸上(パラ)」のニュース

パラリンピック 新着ニュース