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今度は みんなと跳んだ…走り幅跳び 中西6位

 
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 みんなと一緒に跳んだ――。女子走り幅跳び(義足)の中西麻耶選手(36)(阪急交通社)は、自国開催の大会で6位に入った。世間からの批判を受けて一度は引退したが、今度は多くの人とつながりながら、4度目の舞台に立った。(松田祐哉)

世間「敵」じゃない 晴れやか

陸上女子走り幅跳び、6位になった中西麻耶(28日、国立競技場で)=杉本昌大撮影
陸上女子走り幅跳び、6位になった中西麻耶(28日、国立競技場で)=杉本昌大撮影

 メダルの色を意識し、金色に染めたドレッドヘアで競技場に姿を現した。6回の試技を終え、口をついたのは感謝の言葉。「今までで一番苦しい戦いだったけれど、今までで一番多くの方に応援してもらった」

 塗装会社で働いていた21歳の時、落ちてきた鉄骨の下敷きになり、右膝から下を失った。リハビリの過程で勧められた陸上を始め、2年後の北京大会に初出場。200メートルで4位に入賞した。

 「このままじゃダメだ」。本気で戦う世界の選手に刺激を受け、翌年に単身渡米。ロサンゼルス五輪の男子三段跳び金メダリスト、アル・ジョイナーさんに師事し、走り幅跳びを始めた。

 米国での暮らしは苦しかった。ホテル代がなく遠征先の公園のベンチで野宿したり、世界選手権出場を諦めたりしたこともあった。

 2012年のロンドン大会前にセミヌードカレンダーを発売したのは資金集めが目的だった。しかし、この時、別の思いもあった。「障害者でも引け目を感じなくてもいいし、義足も知ってほしい」

 体はモノクロで、義足だけをカラーにして浮き立たせた作品は話題を呼ぶ一方、「障害を売り物にしている」と批判も浴びた。精神的に追い込まれ、大会後に一度は引退した。

 「誰かの人生に影響を与えられる人は一握りだ。君はそうなれる」。翌13年に復帰を決意させたのは、ジョイナーさんの言葉だった。世間は「敵」じゃない。一緒に頑張っていきたい。

 健常者の大会に積極的に出て、サインの求めに快く応じた。SNSで練習の様子や暮らしぶりを発信し、CMや雑誌にも登場。ファンやスポンサーが自然と増えていった。

 コロナ禍で、高齢の家族への感染を防ぐために昨春、実家のある大分県を離れ、関西に拠点を移した。「古里を捨てたと言われるのでは」と公表をためらったが、数か月たってSNSで明かすと、「離れていても応援してます」「大分だけでなく日本の希望です」と温かい書き込みであふれた。

 「今までは自分1人で戦場に向かう感覚だったが、今はみんなで舞台に立っている」。開幕前、何度も口にしていた。

 本番の最後の跳躍前。観客のいないスタンドに向かって、手拍子を求めた。試合後、「みんなと一緒に跳びたいなと思いました」と晴れやかな表情で語った。

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2323165 0 東京パラリンピック2020速報 2021/08/29 05:00:00 2021/08/29 06:31:30 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/08/t-nakanishi.jpg?type=thumbnail
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