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世界レベルを痛感「実力足りなかった」…テコンドー・田中光哉はそれでも「もっと強くなれる」

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 東京パラリンピックは2日、新競技のテコンドーが開幕した。この日は、男子61キロ級(上肢障害)に田中光哉(ブリストルマイヤーズスクイブ)が出場したが、白星を挙げられなかった。日本にとって、世界のレベルの高さを痛感する船出となった。(読売新聞オンライン)

スピードで勝てず、大きな相手に対しても…

テコンドー男子61キロ級に出場し、敗者復活戦でアゼルバイジャンの選手に敗れた田中光哉(右)(2日、幕張メッセで)
テコンドー男子61キロ級に出場し、敗者復活戦でアゼルバイジャンの選手に敗れた田中光哉(右)(2日、幕張メッセで)

 1回戦で田中は、身長が低くてスピードのあるブラジル選手と顔を合わせた。手足の長い優位性を生かし、細かいフェイントでけん制しながら、右足の蹴りで相手を突き放し、距離をとって戦うプランだった。だが、跳び蹴りや左右の連続蹴りを繰り出す好戦的な相手に、あっさり懐へ入り込まれてしまう。防戦一方のまま、24―58で完敗を喫した。

 敗者復活戦は、アゼルバイジャンの長身選手との対戦だった。1ラウンドは互いに出方をうかがい、手数の少ない展開になったが、3点のリードを許す。2ラウンドは思い切って攻め込んだが、これが相手の思うつぼ。巧妙なカウンター攻撃の餌食となり、8点差と水を開けられた。この試合も終始、相手ペースで進み、15―20で敗れた。

 「実力が足りなかった。スピードと技術の勝負でも勝てなかったし、大きな相手を崩す戦いもできなかった」と田中は潔く認めた。声を震わせ、苦しい2つの完敗を振り返った。

3年で日本代表に

 田中は生まれつき両腕に障害を抱える。小学校の頃にサッカーを始め、高校時代には副主将を務めたこともあるという根っからのスポーツマンだ。

 大学卒業後に就職した東京都障害者スポーツ協会の仕事で、2016年秋、リオデジャネイロ大会のメダリストとともに熊本地震の被災地を訪問した。子どもたちがメダルに目を輝かせる姿を見て、「パラリンピックに出たい」と心に火がついた。

 選んだ道が、新競技として東京大会での採用が決まっていたテコンドーへの挑戦だった。キックには自信があったが、競技経験はゼロ。それでも、17年に練習を始めて20年1月には代表選考会を勝ち抜いた。わずか3年で日本代表選手に上り詰めた。

「世界で勝てる選手になりたい」

 日本のパラテコンドーを巡る環境は厳しい。競技人口は「約10人」。少ない選手たちを国際大会に送り込んで強化を進めようにも、ここ1年余りは新型コロナウイルスの影響で、ままならなかった。代表選手たちは、合宿で健常者のテコンドー選手らと練習を重ねて今大会を迎えた。だが、この日の田中の2試合を見る限り、世界とのレベル差を埋めていくのは簡単ではなさそうだ。

 田中は何度も目元をぬぐいながら、「勝ちたかった」と繰り返した。そのうえで「まだテコンドーを始めて間もない自分は、もっと強くなれる。世界で勝てる選手になりたい」と言い切った。「障害のある選手同士が激しく戦う、魅力的なスポーツ。日本が強くなれば、より多くの人に知ってもらえる」と、パラテコンドーという競技の未来にも大きな希望を抱いている。

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2335701 0 東京パラリンピック 2021/09/02 21:29:00 2021/09/02 21:29:00 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/09/20210902-OYT1I50155-T.jpg?type=thumbnail
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