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    「読み解く」(1) ヒトの設計図違いは0.1%

    遺伝子2万数千個13年で解読

     

     昨年11月、米国発の1本のニュースが世界を駆けめぐり、各国の研究者たちに大きな衝撃を与えた。

      「生きた人間の体内で遺伝子を改変した。これは、人類初の試みである」

     詳細は次のような内容だった。米国に難病の「ムコ多糖症2型」を患う40歳代の男性がいる。彼は肝細胞の遺伝子に異常があり、肝臓で必要な酵素を作れず苦しんでいる。そこで、薬品を注射する方法で彼にゲノム編集を施し、彼の体の中で、肝細胞の遺伝子を改変した――。

     試みたのは米カリフォルニア州のバイオ関連企業だった。「ゲノム医学のフロンティアに立った」。同社がホームページで宣言すると、瞬く間にニュースが広がり、ネット上に書き込みが殺到した。

     「すごすぎる。神の領域に近づいた!」

     「大丈夫なのか? 猛烈な副作用がありそう」

     ゲノム編集を施す治療は米国や中国で臨床試験が進んでいる。ただ、これまでは患者の体外で行うものばかりだった。患者の体から細胞を取り出し、遺伝子を修復し、細胞を体内に戻す方法だ。

     「患者の体内で」となると訳が違う。今まで治療が難しかった多くの病気が治せる可能性が高まるが、失敗して関係のない遺伝子を傷つけて、がんなどを引き起こしてしまうかもしれない。それは取り返しがつかない事態だ。

     「いよいよそんな時代が来たか」。ニュースを聞いた大阪大ゲノム編集センター長の真下知士ましもともじ(46)は、期待とともに一抹の不安も感じた。

     

     

     親の特徴は、なぜ子どもに伝わるのか。遺伝の謎を探る研究が本格化したのは20世紀に入ってからだ。DNAの二重らせん構造が解明されたのも、1953年のことだ。

     元号が「平成」に変わった翌年、大きな進展があった。DNAにあるゲノムを解読する国際プロジェクト「ヒトゲノム計画」が始まったのだ。

     呼びかけ人の一人は、二重らせん構造の解明でノーベル賞を受賞したジェームズ・ワトソン(89)だった。当時、人間のゲノムを解読するには何十年もかかると言われた。各国の協力が必要だった。

     大阪大教授(現名誉教授)・松原謙一(83)はその頃、米国で開かれた研究会の昼休み、旧知のワトソンからプロジェクトへの参加を求められた。

     「ケンイチ、世界のために日本もやってくれ」

     返事は保留したが、帰国後、ワトソンは手紙まで送ってきた。「参加しないと、日本の生命科学は世界に後れを取る」と確信した松原は国に参加を働きかけ、プロジェクトを進める研究者組織「ヒトゲノム国際機構」の初代副会長にも就いた。

     

     

     解読は日米欧で進められ、2003年に完了した。人の遺伝子は2万数千個あるとわかった。どの染色体のどの部分にどんな働きをする遺伝子があるのか。それを示す「設計図」が明らかになった。

    • ヒトゲノムが解読された頃の遺伝子解読作業(2003年3月、東大医科学研で)
      ヒトゲノムが解読された頃の遺伝子解読作業(2003年3月、東大医科学研で)

     ただ、DNA全体では、遺伝子のない部分の方がずっと多かった。「解読が終わっても、ゲノムの多くは未解明。生命はまだまだ神秘だ」と松原は思う。

     その後の研究で、人間のゲノムは99・9%が同じだとわかってきた。残りのわずか0・1%の違いが一人ひとりの違いを生んでいるという。身長や体格、目の色や髪の色、すべてゲノムが関係している。

     遺伝子工学に詳しい京都大iPS細胞研究所の特定拠点講師、堀田秋津(39)は考える。「ゲノムのわずかな違いによって世界にいろんな人が存在している。そして生物の進化にもつながった。ゲノムの本質は、多様性ということだ」

     そんなことも、わかり始めている。(敬称略)

     

    <DNAと遺伝子>

     DNAとは、染色体の中にあり、様々な遺伝情報を記憶している物質のことだ。2本の帯がらせん状に絡んだ構造で、内側にA(アデニン)、T(チミン)、G(グアニン)、C(シトシン)という4種類の「塩基」が対になって並んでいる。

     DNAのうち、遺伝情報にあたる部分が「遺伝子」。生命に必要なたんぱく質を作るための“指令文”が書かれている。人には2万数千個あり、どの染色体にどの遺伝子があるかは決まっている。例えば、血液型を決める遺伝子は9番染色体の端の方にある。DNAが1冊の本だとすると、遺伝子はそこに書かれている文章にあたる。

     

     

    ◇人類全体でルール作りを

     ヒトゲノム国際機構で会長を務めた東京大名誉教授の榊佳之さん(75)にDNA研究の成果と課題を聞いた。(聞き手・諏訪智史)

     

    • 「研究が進み、ゲノムを扱う人間の倫理が問われている」と語る榊さん(東京都内で)
      「研究が進み、ゲノムを扱う人間の倫理が問われている」と語る榊さん(東京都内で)

     平成の30年は、人間がゲノムを読み、編集し、自分たちで作り出すようになった時代と言える。

     ヒトゲノムが解読されたことによって、病気の原因となる遺伝子が次々に見つかった。単一で病気を発症させる遺伝子は現在、5000個以上も知られている。遺伝子によって様々な病気を診断でき、治療薬も開発されるようになった。

     一方で、わかり過ぎるようにもなった。最近の出生前検査では、妊婦の血液を調べるだけで、胎児にダウン症につながる染色体異常があるかどうかがわかる。そのため、陽性と診断された妊婦のほとんどが人工妊娠中絶を選んでいる。「命の選別」は防がねばならない。

     ゲノム編集の技術も進歩した。自然界で起きる遺伝子の突然変異を人間が簡単に作れてしまう。難病の治療や農作物の改良などへの応用が期待できるが、悪用の恐れもある。スポーツ選手のゲノムを編集してドーピングのような効果を得たり、強力な毒を持つ細菌兵器を作ったりできるかもしれない。

     生物のゲノムを人工的に作る研究も始まっている。人間の思い通りに塩基を並べて一つにつなぎ、生きた細胞の中に入れる。新たな生命を作り出す試みだ。米国では何千億円という投資がなされており、自然界に存在しない細菌がすでに誕生している。ゲノム編集の次に注目される。

     この間、生命の理解は進んだが、研究はどこまでが許容されるのか。人類全体で議論を深め、適切なルールを設けていく必要がある。

     

    さかき・よしゆき 1942年、名古屋市生まれ。東京大理学系研究科博士課程修了。2002~05年、ヒトゲノム国際機構会長を務める。14年から静岡雙葉ふたば学園(静岡市)理事長。

    2018年01月05日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
    大阪本社社会部から
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