【震災7年】おっかあ お帰り

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 寒風が吹きすさぶ9日、防潮堤工事が続く宮城県気仙沼市の海岸で、イチゴ農家の佐藤信行さん(67)は海を見つめ、打ち寄せる波の音とお経を聞いていた。「つらかっただろう、苦しかっただろう、悔しかっただろう」――。10月に見つかった遺骨が、妻の才子さん(当時60歳)だとわかった。東日本大震災の発生から7年9か月。最愛の人との再会に、佐藤さんは声を震わせた。

防潮堤の工事が進む海岸で、佐藤信行さんの妻・才子さんは発見された。震災後に生まれた孫娘は、写真でしか知らぬ祖母を思い、手を合わせた(9日、宮城県気仙沼市で)
防潮堤の工事が進む海岸で、佐藤信行さんの妻・才子さんは発見された。震災後に生まれた孫娘は、写真でしか知らぬ祖母を思い、手を合わせた(9日、宮城県気仙沼市で)

 小、中と一緒の学校に通い、高校卒業後に地元の青年会で再会。20歳で結婚し40年間、二人三脚でイチゴを栽培してきた。資金繰りや不作に苦しんだこともあったが、「おっかあは愚痴一つ言わず、いつもほほ笑んでくれたんだ」。

 あの日、才子さんは海抜11メートルの高台に逃げた。才子さんを含む93人が避難していたが、津波が全てをのみ込んだ。一緒に避難した母・しなをさん(当時87歳)は震災の1か月後に見つかったが、才子さんの行方は分からなくなった。

 沖に流されたのではという人もいたが、「見つけて供養して成仏させてあげたい」と、月命日に海岸沿いを捜索し続けてきた。10月24日、防潮堤工事の作業員によって発見されたのは職場から100メートルほどの場所。震災がれきの中で、エプロンを身につけ、長靴を履いていた。「願いが通じて、会いに来てくれたのかな」

 今月11日、気仙沼署から遺骨の引き渡しを受け、市内で火葬した。いつもは才子さんが好きだったコーヒーを仏壇に供えるが、その夜は生前のように、缶ビールを分けて2人で晩酌をした。「お帰り。よく帰ってきてくれたね」

 警察庁によると、12月10日現在、大震災による行方不明者は東北の被災3県で2530人となっている。

 (文・宇田和幸、写真・関口寛人)

引き渡しを終え、警察官によって運ばれる才子さんの遺骨を見つめる信行さん。あふれそうになる涙を何度もこらえていた(11日)
引き渡しを終え、警察官によって運ばれる才子さんの遺骨を見つめる信行さん。あふれそうになる涙を何度もこらえていた(11日)

才子さんの遺骨を乗せて気仙沼署を後にする信行さんの車を、署員たちが敬礼して見送った(11日)
才子さんの遺骨を乗せて気仙沼署を後にする信行さんの車を、署員たちが敬礼して見送った(11日)

信行さんの寝室には、ベッドからよく見える場所に若かりし日の才子さんとの写真が飾られていた(13日)
信行さんの寝室には、ベッドからよく見える場所に若かりし日の才子さんとの写真が飾られていた(13日)
54439 0 ズームアップ 2018/12/17 15:00:00 2019/02/04 10:51:28 2019/02/04 10:51:28 防潮堤の工事が進む海岸で、佐藤信行さんの妻・才子さんは発見された。震災後に生まれた孫娘は、写真でしか知らぬ祖母を思い、手を合わせた(9日、宮城県気仙沼市で) https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/01/20181217-OYT8I50005-T.jpg?type=thumbnail

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