[自民党研究 政党を問う]第1部 地方・党員<1>どぶ板は力なり 首相、再起の記憶刻む

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 自民党は1955年の結党以来、2度の下野を経験したものの、60年近く政権の座にある。ポスト平成の時代も、自民党は日本政治の中心にあり続けるのかどうか。連載「自民党研究」では、その力の源泉と死角を探る。まずは党を支える「地方・党員」に焦点を当てる。

 「あの時は徹底的に選挙区を歩いたなぁ」

 1月6日、山口県宇部市の日本料理店「かめうら苑」。首相の安倍晋三(自民党総裁)(64)は、うな重をつつきながら感慨に浸った。卓を囲んだ母の洋子、元外相の父・晋太郎を支えた後援会幹部らも懐かしそうに相づちを打った。

 あの時とは、初当選した1993年の衆院選のことだ。中選挙区制で行われた最後の選挙で、急逝した晋太郎の後を継いだ安倍が「弔い合戦」を制し、旧山口1区(定数4)でトップ当選した。

 「その時、祝勝会を開いたのがこの店です」。出席者から思い出話が次々と飛び出し、ビールで喉を潤す安倍は相好を崩した。

 衆院議員だった祖父・かんの代から続く安倍後援会の結束は固い。組織を受け継いだ安倍は9回の当選を重ね、首相にも返り咲いた。

 「困難な時も、苦しい時も応援していただいた。ともに戦った25年だ」

 前日の5日、安倍は下関市での後援会会合で深々と頭を下げた。2007年に体調を崩して第1次内閣を退陣した直後、失意の自分を支えてくれた人たちのことが念頭にあった。

 「次の衆院選で圧倒的な支持が得られなければ政界を引退する」。安倍は退路を断ち、山口に張り付いて週末を中心に多い日で9件、1年半で計約300件のミニ集会を開いた。

 当時、秘書として同行した前田晋太郎(現・下関市長)(42)には忘れられない記憶がある。「パカッ、パカッ……」。路地を回り、一軒一軒を訪ね歩く「どぶ板」活動に徹した安倍の靴のかかと部分がはがれ、音が鳴った。3足を履き潰すほど地元をくまなく歩いた安倍は、09年衆院選で圧勝し、復権への一歩を踏み出した。

 安倍は、田園風景の中でお年寄りに頭を下げる当時の写真を今もフェイスブックのトップページに載せる。「再出発の原点」を忘れぬよう自戒するためだ。第1次内閣時は一度も地元入りしなかったが、今は盆と正月の年2度、必ず戻る。首相ですら地元に向かわせる気風こそが自民党の強さの源泉となる。

「安倍総裁」最も評価…党員調査

 読売新聞社は自民党について、党員を対象に電話調査を行った。歴代で最も評価する党総裁は、安倍晋三氏が24%でトップとなり、小泉純一郎氏と田中角栄氏がともに18%で続いた。

 調査は1月12~14日、全47都道府県で実施し、党員と確認できた1196人から回答を得た。長期政権を担う現総裁への支持が厚い一方、「聖域なき構造改革」を進めた小泉氏と地方の開発に注力した田中氏の実績が前向きに評価された。

 同時に行った一般有権者への全国世論調査(1028人が回答)の同じ質問では、小泉氏(27%)、安倍氏(14%)、田中氏(11%)などの順だった。上位5人は自民党員と同じ顔ぶれで、大きな差異はなかった。

 一方、国会議員や地方議員らの後援会に所属しているかどうかを聞いたところ、自民党員の64%が「所属している」と回答した。一般有権者向けの調査では、わずか6%だった。後援会を介して自民党に入党する人が多いとみられる。

安倍3代 「草の根」応援団…お膝元 「中選挙区」遺恨も

 ◆若い力

 東京で生まれ育った首相の安倍晋三(64)には、地元・山口県に小中高校の同級生ネットワークがない。ハンデを補っているのは二つの後援会青年部だ。中心は40歳代で、選挙では遊説を担う実動部隊となる。

 うち一つは、自民党でも珍しい45歳定年制を設けた。党員の高齢化が進む中で、「常に若い血を入れる」(後援会幹部)ための知恵だ。メンバーが仕事仲間や後輩に声をかけて支援の輪を広げ、現在は総勢約200人を数える。

 1月5日夜、安倍は夫人の昭恵(56)を伴い、下関市の商店街にある焼き肉店を2軒、はしごして回った。いずれも青年部の会合で、安倍は「奥さん元気?」「最近どうしてる?」などと一人一人に尋ねた。

 毎年末、青年部幹部のもとには安倍から「1年間お世話になりました」と電話が入る。安倍は若い支持者との触れ合いを欠かさず、組織の新陳代謝に余念がない。青年部員の一人は「ファンクラブではない。皆、本人不在の選挙を戦う覚悟に満ちている」と語る。

 安倍家を3代にわたって下支えしてきた古参組織も健在だ。「平成の大合併」を経て、安倍の地盤である衆院山口4区は9市町が2市に再編されたが、後援会は今も旧9市町ごとに拠点を置く。大票田の旧下関市だけで30以上に上り、毛細血管のように後援会網が張り巡らされている。

 特徴的なのは、後援会幹部に大企業の役員や地方議員が名前を連ねていない点だ。中小企業や個人が主体の「草の根集団」から、利益誘導を期待する声は聞かれない。安倍の父・晋太郎の代から80歳を超えても一線で活動する後援会長の伊藤昭男は「見返りを求めないからこそ強い。安倍晋三を国政に送り出すことが我々の自負と誇りだ」と胸を張る。年2回の安倍のお国入りは、「自負と誇り」を確かめる機会でもある。

 ◆因縁の相手

 そんな安倍には、因縁めいた好敵手がいる。自民党参院議員の林芳正(58)だ。

 下関は林のお膝元でもあり、安倍の父・晋太郎と林の父・義郎が中選挙区時代からしのぎを削ってきた。1994年の小選挙区制導入後、義郎は比例選に、息子の林は参院に回って安倍とのすみ分けに成功したが、両家の遺恨が完全に消えたわけではない。

 「昨今の働き方改革で、社員をこき使うとペナルティーと言われるが、安倍内閣に限っては『ぺ』の字もない。立派な上司のおかげで、大変のびのびと働かせていただいた」

 林は1月6日、下関市での安倍後援会の会合に出席し、安倍の面前でこう当てこすった。林は第2次安倍内閣以降、農相、文部科学相に起用され、加計かけ学園問題など難しい課題の矢面に立たされた。林は2012年の党総裁選で安倍と争った経緯がある。林の将来に期待をかける支援者からは「苦しい時だけ尻ぬぐいをさせられている」と安倍への不満が漏れる。

 17年の下関市長選では、安倍の秘書だった前田晋太郎(42)と林に近い現職が激突した。安倍は東京から電話で前田への支援を呼びかけ、代理戦争を制した。保守層を二分したしこりは根深い。2月3日投開票の市議選では、議会で安倍批判を展開した自民系市議が党の公認・推薦を得られなかった。

 強固な組織と引きずる対立。党総裁の足元に中選挙区時代の光と影を残し、平成が暮れてゆく。(敬称略)

          ◇

 「政党を問う」の第2弾として、自民党の内実に迫る連載を随時掲載していきます。

後援会の力なお強く…党員調査

 読売新聞社が実施した自民党員調査では、党員のほぼ3人に2人が国会議員や地方議員らの後援会に所属し、党よりもむしろ後援会に対する帰属意識が強いことが分かった。

 後援会所属の党員に、政党と後援会のどちらを重視しているかを尋ねたところ、「後援会」は57%で、「政党」は34%だった。後援会所属の党員は政治的活動への参加にも積極的で、「よく」と「時々」を合わせて74%が「参加している」と答えた。後援会に所属していない党員では「参加している」が32%と低かった。党員は後援会主体の政治活動に力を注ぐことで結束を強めていると言えそうだ。

 定数3~5の中選挙区制では、同一政党が複数の候補を擁立し、政党より候補者の個人後援会が力を発揮したが、カネがかかり、金権腐敗の温床になりやすいとの弊害が指摘された。

 1994年成立の政治改革関連4法で、1選挙区から1人しか当選しない小選挙区制が導入された背景には、政党や政策主体の選挙に改める狙いがあったが、調査からは、現在も後援会主体で議員を支えている実態がうかがえる。

 一橋大の中北浩爾教授(政治学)は「衆院議員の系列色が弱まり、小選挙区ごとに自民党としての結束は高まったとはいえ、後援会が主体である点にあまり変化はない」と指摘する。

 自民党は野党転落時も、安倍首相や二階幹事長らベテラン議員が議席を守ってきた。中選挙区時代からの強固な後援会が維持されてきたことが党の崩壊を食い止めた面もある。

421476 1 政治 2019/02/04 05:00:00 2019/02/04 10:26:50 2019/02/04 10:26:50 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/02/20190204-OYT1I50011-T.jpg?type=thumbnail

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