裁判員制度の導入に尽力、保岡興治元法相が死去

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保岡興治元法相
保岡興治元法相

 元法相で前自民党衆院議員の保岡興治(やすおか・おきはる)氏が19日午後6時44分、膵臓すいぞうがんのため東京都内の病院で死去した。79歳だった。喪主は妻、芳枝さん。

 保岡氏は鹿児島県出身。鹿児島地裁裁判官、弁護士を経て、父・武久氏の後をついで1972年に衆院旧奄美群島区で初当選。同選挙区で徳田虎雄元衆院議員と「保徳戦争」と呼ばれる激しい選挙を繰り広げた。

 2000年7月に第2次森内閣で法相として初入閣し、法相退任後は司法制度改革に関する与党政策責任者会議の座長として裁判員制度の導入にも尽力した。

 16年からは自民党憲法改正推進本部長を務め、党内の憲法改正論議のとりまとめ役を担った。13回の当選を重ねたが、がんの治療に専念するため17年の衆院選に立候補せず、引退した。

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545987 0 政治 2019/04/20 11:59:00 2019/04/20 12:25:30 2019/04/20 12:25:30 衆鹿児1区安岡興治。自民党前議員・保岡興治氏。衆鹿児1区安岡興治。自民党前議員・保岡興治氏。 https://www.yomiuri.co.jp/media/2019/04/20190420-OYT1I50035-T.jpg?type=thumbnail

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