中曽根元首相合同葬 追悼の辞全文

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菅首相

 本日ここに、従一位大勲位菊花章頸飾(だいくんいきっかしょうけいしょく)、元内閣総理大臣、元自由民主党総裁、故中曽根康弘先生の内閣・自由民主党合同葬儀が行われるに当たり、謹んで追悼の辞をささげます。

 中曽根先生は、大正7年に群馬県高崎市にお生まれになり、長じて内務省に勤められた後、先の大戦を経て、昭和22年、政界に転じ、28歳で衆議院議員に初当選されました。以降、連続20回の当選を果たし、科学技術庁長官、運輸大臣、防衛庁長官、通商産業大臣、行政管理庁長官と要職を歴任され、56年にわたって国政の中枢でご活躍になられました。

 先生は、昭和57年11月に内閣総理大臣に就任され、「戦後政治の総決算」を掲げ、従来の基本的な制度や仕組み等について、新しい時代を迎えるための体制整備を実行されるなど、約5年間にわたり、その重責を担われました。

 ご就任当時は、東西の軍事的対立や世界経済の低迷、貿易摩擦の顕在化など、世界の荒波が我が国に打ち寄せていた時代であり、国内的には、内閣制度創設から100年、終戦から40年という節目を迎える中で、急速な高齢化が進むなど、社会構造の大きな変化に伴う新たな困難に直面していました。このように、国内外にわたる大きな転換期に当たって、先生は次世代に向け、全身全霊を傾けて新しい道を切り開かれました。

 特に、内政面においては、行政改革を最重要課題の一つとして位置付けられました。行政の肥大化を抑制し、民間の自由な創意を発揮させるとの観点から、日本国有鉄道の分割・民営化や、日本専売公社及び日本電信電話公社の民営化を断行されました。

 また、「増税なき財政再建」の基本理念の下、行政経費の節減、予算の効率化を図るなど、経費の徹底的な節減合理化と財政の健全化を強力に推し進められました。

 外交面では、国際社会の平和と繁栄に積極的な貢献を行うとの立場から、米国をはじめとする各国との関係強化を推進し、我が国の国際的地位を大きく向上させました。

 先生は、「結縁、尊縁、随縁」という「三つの縁」を大切になさっておられ、多くの人と「縁」を結んでこられました。特に、今は亡き奧様をはじめ、ご家族の皆様との強い結びつきを思い起こさずにはいられません。長年にわたり先生を支えてこられたご家族の深い悲しみに対し、心からお悔やみ申し上げる次第です。

 中曽根先生は、次世代の我が国の姿を見据え、必要な改革を実行され、国際社会の平和と繁栄に貢献されました。先生が推し進められた改革の精神を受け継ぎ、国政に全力を傾けることをお誓い申し上げて、お別れの言葉といたします。

 どうか安らかにお眠りください。

渡辺恒雄 本社主筆

 中曽根さんは私の師であり、8歳上の兄であり、六十余年にわたる私の唯一の、畏敬した友人でありました。今ここで、最後のお別れの言葉を述べるにあたり、先に菅総理大臣をはじめ、三権の長から中曽根さんの偉大な政治、行政、外交等に及ぶ大宰相としての功績についてのご説明は十分になされたと思いますので、私は政治家としての中曽根さんのあまり知られていない側面について、感想を申し上げたいと思います。

 それは、中曽根さんの政治家の裏側の、哲人としての側面であります。まず、中曽根さんが熱心なカント哲学の信奉者であったことです。群馬県にある中曽根康弘資料館の中の、中曽根さんの膨大な読書の歴史を示す万巻の書籍の棚の中で、ひときわ目立つ立派なガラスの箱の中に、カントの純粋理性批判とパスカルのパンセの2冊が安置されてあります。

 中曽根さんは晩年の80歳代で、「自省録―歴史法廷の被告として―」という有名な言葉を冠した、自分の遺書とも言っておられる文章を出版なさいました。その中で、次のように書いておられます。「私の八十年以上におよぶ人生で、自らの行動を規定してきたものとは何だったのか、そう考えることが最近増えています」と。そして、最終章の冒頭で「若き日の私は、カントの哲学をなぞるようにして生きていたともいえます」と明記し、カントの実践理性批判の結語の冒頭の2行を引用しております。それは、「それを考へることしばしばにして且(か)つ長ければ長きほど常に新たにして増し来る感嘆と崇敬とを以(も)って心を充たすものが二つある。それはわが上なる星の輝く空とわが内なる道徳律とである」。

 この岩波文庫版で2行の文は、難渋、膨大なカントの著書の中でも最も分かりやすく、かつ情緒的、文学的表現で若者の心を打つ言葉であります。実は、この2行は、私がかねてから年間の懐中手帳を替えるにあたり、必ず表紙裏にそのコピーを張り替えている言葉であります。たまたま私と中曽根さんは、信奉する哲学の中心概念が偶然にぴたり一致しているということを、中曽根さんからこの「自省録」をいただいたときに知って、驚いたものであります。

 なお、俳人として中曽根さんの残された沢山の句の中で、最も有名な句「暮れてなお 命の限り 蝉しぐれ」は、94歳の私にとって、心の支えとなっています。今あなたのおられる星輝く天界で、近くお目にかかるのを楽しみにしております。

大島衆院議長

 元自由民主党総裁前衆議院議員従一位大勲位中曽根康弘君は、本院議員として在職56年9月に及び、この間常に憲政のために尽力し、特に院議をもってその積年の功労を重ねて表彰され、しばしば国務大臣の任につき、三たび内閣総理大臣の重責をにない、およそ5年の長きにわたり国政を統理(とうり)されました。

 君は、終始行政の改革と財政の再建に心魂を傾け、また世界の平和と繁栄に力をいたし、国民生活の安定とわが国の国際的地位の向上に貢献されました。その功績はまことに偉大であります。

 衆議院は、君の長逝を哀悼し、つつしんで弔詞をささげます。

山東参院議長

 五十有余年の永きにわたり、衆議院議員としてわが国、民主政治発展のため、力を尽くされました。元内閣総理大臣従一位大勲位中曽根康弘君の長逝に対し、参議院を代表してつつしんで哀悼の意を表し、うやうやしく弔辞をささげます。

大谷直人 最高裁長官

 従一位大勲位菊花章頸飾故中曽根康弘先生は、その生涯を通じ、高まいな識見と豊富な経験とをもって国家のために献身されました。

 特に、我が国が戦後の転換期を迎え、内外の情勢が困難な中にあって、内閣総理大臣として我が国の繁栄のために全力を傾けられました。その輝かしいご業績は永く歴史に残るものと信じます。

 ここに、裁判所を代表し、先生のご冥福(めいふく)を心からお祈り申し上げます。

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1556923 0 政治 2020/10/18 05:00:00 2020/10/18 05:00:00 2020/10/18 05:00:00

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