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11日で、東日本大震災から10年を迎える。未曽有の大災害にそれぞれの立場で関わった人たちに、当時を振り返ってもらい、今後の教訓などを語ってもらう。
首相の責任
今年2月13日の深夜、福島県沖を震源とする最大震度6強の地震がありました。東京の自宅もかなり揺れ、東日本大震災当時のことがすぐに頭をよぎりました。今も余震が続いており、10年たっても一区切りではないと感じています。
東日本大震災は、地震と津波に加え、東京電力福島第一原発事故も引き起こした大災害でした。日本が起こした世界最悪レベルの事故に直面するなかで、事故処理を日本の責任で行えず、他国に頼むようでは、日本が国家として成り立たないという思いが常に頭にありました。米国など他国の協力は大変ありがたかったですが、前提として、できる限り自分たちの手で対処する覚悟で臨むことが、首相としての責任だと思いました。

東電本店に乗り込んで撤退しないよう求めたのは、こうした考えからでした。事故翌日に福島第一原発に行ったことも同様です。現場で指揮に当たる福島第一原発の吉田昌郎所長に初めて会い、強い責任感を確認することができました。批判も浴びましたが、今でも行ってよかったと思っています。
一方、政府の原子力災害対策本部長として福島県内で避難範囲を広げる判断をした際、病院や介護老人保健施設に入院していた高齢者が避難中に亡くなったことは、今でも非常に心が痛みます。各自治体も混乱しており、こうした方々は受け入れ先を求めて長時間の移動を余儀なくされました。結果的に、一番弱い立場の人が命を落とされ、本当に申し訳なく思います。
覆された考え
この大事故を経て、原発に対する考えは180度変わりました。それまでは日本の技術者のレベルは高く、1979年の米国のスリーマイル島や1986年の旧ソ連のチェルノブイリの原発事故のような人為的ミスによる事故は起こさないと思っていました。だから、「日本の原発は安全です」と、ベトナムなどに原発輸出のトップセールスもしました。
しかし、あれだけの原発事故が起きました。地震や津波が多い日本の地理的条件を考慮しない設計がされ、炉心溶融(メルトダウン)につながったのだから、まさに人為的事故です。考えが根底から覆され、この10年間、政治活動の9割方を原発問題にあて、「原発ゼロ」を目指してきました。
大震災を経て、危機管理の要諦とは、最悪の事態をイメージし、それを回避するための方策を実行することだと痛感しています。
共通点
原発事故と新型コロナウイルスの感染拡大は、性質は違うものの、危機管理という観点では共通していると思います。
大震災から10年がたちましたが、被災地の復興はいまだ途上です。津波に対応できる街づくりなどハード面では一定程度進みましたが、被災者のなりわいが再建されず、被災地の人口は減少しています。その対策として、農地に太陽光発電設備を設置する「営農型太陽光発電」の普及に取り組んでいきたいです。農業の復活と売電による収入により、人口が戻る経済的基盤を作りたいと考えています。
◆東京電力福島第一原発事故=東日本大震災による津波で電源が海水に浸り機能が喪失したため、1~3号機では核燃料を冷却できず、炉心溶融(メルトダウン)を起こした。原子炉建屋の爆発などにより、放射性物質が放出され、原子力事故の国際的な尺度で最悪を示す「レベル7」と暫定評価された。