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沖縄が50年前に本土復帰した5月15日は、日本有数のコンビニエンスストアチェーン「セブン―イレブン」にとっても、大きな節目の日だ。社内で「5・15」と言えば、1974年に東京・豊洲に1号店を開いた日。沖縄の本土復帰2年後に歴史を刻み始めたセブンにとって、全都道府県で最後の「空白地」が沖縄だった。
セブンの「5・15」から45年が過ぎた2019年7月11日。沖縄県内で14店舗が一斉にオープンした。県庁近くの国道沿いに位置する「セブン―イレブン那覇松山1丁目店」には、開店の午前7時前から250人が行列を作った。

カウントダウンが終わり、「おめでとう」の声が飛ぶと拍手が湧いた。「沖縄のお客様、お待たせしました」。声を張り上げたセブン―イレブン沖縄の久鍋研二社長(53)は、感無量で涙がにじんだ。
セブンにとって人口増が続く沖縄は魅力的だった。出店に向けて繰り返した市場調査では、県民の
県内で急速に店舗を増やし、今年4月末時点で123店に達した。ファミリーマート(328店)やローソン(259店)には及ばないが、進出から5年間で250店舗が目標だ。4月22日には、県と産業振興などで協力する包括的連携協定を締結し、沖縄に根を張る企業を目指す。
消費傾向が本土と一体化したことで、対応を迫られる業界も出ている。
「県民のビール」として親しまれている「オリオンビール」(豊見城市)は復帰時、県内の市場占有率8割超を誇ったが、近年は4割台まで下がったとされる。陳列棚が大きい大型スーパーの増加で消費者の選択肢が増えたことなどが響いた。ソニー出身の村野一社長(59)は県外・海外の販路拡大にも力を注ぐ。「沖縄の会社で沖縄で作っているのが最大の強みだ」
沖縄伝統の泡盛も苦しむ。県酒造組合によると、出荷量は04年をピークに、21年はピーク時の半分以下まで落ち込んだ。同組合の新垣真一専務理事(63)は「ウチナーンチュ(沖縄の人)でない人も増え、泡盛ばかり飲む人は減った」と見る。若者への浸透を狙い、新たな泡盛の飲み方を提案するなど、ブランド戦略を進める。
県外からの移住者が増えたことも、地域社会の変容を後押ししている。
総務省の4月公表の人口推計によると、沖縄県の人口は約146万8000人。0・07%ながら全国で唯一増加した。住民基本台帳の人口移動報告では、コロナ禍の21年を除けば19、20年は転入超過を記録。移住先として高い人気を誇る。
宮古島と石垣島の間にある多良間島。群馬県出身の柳岡秀二郎さん(46)は1100人ほどの島で唯一のダイビングショップを開く。移住から開業まで1年かけ、漁業者を手伝うなど、観光客の流入を不安視していた島民の懐に飛び込んだ。「島民と観光客の交流も生まれ、ぬくもりを求める人が集まるようになった」
ただ、地域への浸透は一筋縄ではいかない。神奈川県から石垣島に移住し、ヘッドスパ店を営む中里恵さん(42)は「普通に生活していると、地元の年配者と交わる機会は少ない」と漏らす。交流は移住者同士になりがちだ。
沖縄には地域の助け合いを意味する「ゆいまーる」という言葉がある。嘉手納町は、少額で送迎などの生活支援を頼める「ちょこっとお助けゆいまーる事業」を試行する。周囲に気軽に手助けを頼める相手が減り、行政の関与が必要となったためだ。伝統的に家族や地域の結びつきが強かった沖縄でも核家族化や地域付き合いの希薄化が進む。
沖縄社会に詳しい立命館大の加藤潤三教授(46)(社会心理学)は「沖縄にはチャンプルー文化があり、本土資本や外資、移住者ものみ込むことができる」と語る。「チャンプルー」は沖縄の方言で「ごちゃ混ぜ」を意味する。「移住者は地域の文化とコミュニティーを尊重し、沖縄社会側もより開いていけば、地域活性化につながる」と提唱する。(おわり)
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この連載は、海谷道隆、阿部真司、栗山紘尚、山崎崇史、阿部雄太、原尚吾、武田佐和子、那覇支局・矢野恵祐が担当しました。
