[桜の記憶]<3>NZ戦 145失点の衝撃

準備不足 大きな教訓に

主将を務めた薫田真広

21トライ、145失点――。1995年に南アフリカで開かれた第3回ワールドカップ(W杯)で、小藪修監督率いる日本がニュージーランド(NZ)に喫した失点数は、今もW杯の最多記録として残っている。日本代表の主将だった薫田真広(52)は振り返る。「スピードとスキルの圧倒的な差を、キックオフ直後からまざまざと見せつけられた」

梶原宏之

いきなり波状攻撃を受け、開始直後に先制トライを奪われた。「オールブラックス」は、速さと力強さ、うまさに加え、組織的なプレーの完成度も高く、日本は防御網を切り裂かれた。前半だけで12トライを奪われ、84失点。後半に梶原宏之(52)が2トライを返すのがやっとだった。

W杯初勝利を挙げた91年大会の後、日本は横へパスを回して相手を揺さぶる展開ラグビーから、縦へ突進してから展開する「タテ、タテ、ヨコ」へ戦術を変えた。直前のルーマニア戦快勝で手応えを得て大会に臨んだものの、ウェールズに完敗すると、アイルランドにも敗れ、グループリーグ敗退が決まった。NZ戦前のチーム状況について、薫田は「直前まで出場メンバーが決まらないなど、世界一の相手にどう戦うか、スタッフも選手も準備ができていなかった」と明かす。

この惨敗は、日本のラグビー人気が低迷する一因となった。99年大会から出場チーム数が16から20へ拡大されるにあたり、実力差のあるチームの対戦が増えることを懸念する声も上がった。試合後の記者会見でその点を問われ、薫田は結果の重大さに気づいたという。「タッチキックなどで時間をゆっくり使えば、145点も取られなかったと思う。試合中は、自分たちの攻撃がどこまで通用するかという思いで、その後の(日本ラグビーへの)影響は考えていなかった」

南アフリカの優勝で幕を閉じた後、アマチュア主義を堅持していた国際ラグビーボード(現ワールドラグビー)はプロを認めるオープン化を発表した。当時は教員で、個人でトレーニングを積んでいた梶原は、95年大会を「プロ化に向かう過渡期の大会。世界は急激に進化していた」と振り返る。

薫田はこの時の悔しさを胸に99年大会にも出場した。現在は日本ラグビー協会の強化委員長として、地元開催のW杯に臨む日本代表のレベルアップに携わっている。「当時は海外のチームに対して恐怖心があった。しかし、今は違う。8強以上を目指し、万全の準備をしたい」と話す。(敬称略)

(矢萩雅人)

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