[桜の記憶]<5>ラスト20分 息切れ

スコットランド戦は後半半ばまでほぼ互角の戦いで健闘した=ロイター

「勇敢な戦士」強豪に善戦

低く激しいタックルで屈強な相手を倒し続ける姿に、地元・豪州の観客は日本の応援に回った。2003年の第5回ワールドカップ(W杯)。初戦の翌日、地元紙はこう伝えている。「勝ったのはスコットランドだが、観衆のハートをつかんだのは日本だ」。見出しは「ブレイブ・ブロッサムズ」――。「勇敢な桜の戦士」の愛称はこの時に生まれた。

日本の健闘は予想外だった。その年、開幕前の国際試合戦績は1勝6敗。見えない戦略に選手の不満が漏れ、「チーム状態はどん底だった」と元木由記雄(47)は言う。4大会連続のW杯に挑む大黒柱は焦りを隠せずにいた。

4大会連続代表の元木由記雄

チームが回り始めたのは7月下旬、開幕まで3か月を切ってからだ。北海道での強化合宿で監督の向井昭吾は、選手とスタッフを集めた。膝をつき合わせて意見を出し合う。「戦術を落とし込むというより、初めて腹を割って話せたことが大きかった」と元木は振り返る。2日間の合宿はミーティングに、9~10月の直前合宿は防御の練習に時間を割いた。

そこで導かれたプラン通りに初戦は進んだ。「僅差で耐え、ラスト20分で勝負」。善戦だったのは、その後半20分頃までだった。

後半11分、故障明けのミラーをSOへ投入して攻撃のテンポを上げた。4分後に小野沢宏時(40)がトライ。11―15と迫り、ここからという所で、「足が止まった」と元木は言う。「格上と渡り合うため、前半から100%の力を出し続けた。でも相手は違った」。ギアを上げた強豪と競り合う力は残っていなかった。

小野沢宏時

初めてW杯に臨んだ小野沢の感覚は少し違う。初戦の約1か月前に初年度のトップリーグが開幕。プロを容認する日本ラグビーの変革の柱だったが、直前まで選手は所属先にいた。「強みは何で、どう点を取るかを準備していなかったから、判断が個人任せになった」。防御で奮闘はしても、肝心な攻めの形を組織として作り込めていなかった。

初戦の後、元木は主将の箕内(みうち)と考えた。「ラスト20分どう戦う」「どうすればいいんでしょうね」。答えは出なかった。その後の3試合も、後半途中までほぼ互角の戦いで健闘したものの、結局は突き放され、元木の最後のW杯は4戦全敗で終わった。京産大のヘッドコーチを務める今、部員には「最後まで走り勝つ自信」を求める。その裏付けがなければ、挑戦者が勝利をつかめるはずがないのだと。(敬称略)(勝俣智子)

関連ニュース

<<
ニュース一覧へ戻る
>>