[桜の記憶]<7>遠い白星 未熟さ痛感

次大会へ成長の糧

フランス戦でボールを持って走る小野沢=ロイター

ラグビーの本場ニュージーランド(NZ)で2011年に開かれた第7回ワールドカップ(W杯)で、日本は07年大会と同様にカナダと引き分けて1分け3敗に終わった。だが、世界を驚かせた15年大会へつなぐ価値ある大会だと言える。

菊谷崇

チームを率いるヘッドコーチ(HC)は、前回と同じジョン・カーワン。一方、長く日本を支えてきた箕内(みうち)らが抜け、世代交代が進んだ。新生日本代表の目標は「2勝」。フランスとこの大会を制したNZといい勝負をし、残る2戦をものにする狙いだった。

ところが、初戦で現実を突きつけられた。スクラムの要、畠山健介(33)は試合直前にフランス国歌を聞き、「一気に(雰囲気に)のまれ、恐怖を覚えた。頭が真っ白になった」。スクラムで圧倒され、畠山は途中交代を余儀なくされた。

それでも後半、一時4点差に迫った。ここからチームの若さが出た。主将の菊谷崇(39)は「チームをコントロールできなかった。未熟だった」。勝負所で防御が乱れ、フランスに残り10分で3トライを許して金星を逃した。続くNZ戦は大敗し、流れをつかめないまま、またしても勝利に手が届かなかった。

畠山は「ぼくの夢はW杯に出ることだった。だが出て何をしたいのかという目標設定がないとだめ」と痛感したという。畠山と同様に、この大会でW杯デビューを果たしたのが、現主将のリーチ、堀江、田中らだ。15年大会で南アフリカ相手に番狂わせを起こし、19年大会も屋台骨を支えるであろう面々も、同じ悔しさを胸に抱き、成長の糧とした。「外国チームは本番での集中力がけた違い。当時はそれが分からなかった」と畠山。大舞台に立つことでしか得られない感覚だった。

2011年W杯を振り返る畠山健介

15年大会に直接生かした経験もある。畠山がフランス国歌の話をHCのエディー・ジョーンズに伝えたところ、指揮官は南ア戦の前に相手国歌を選手に聞かせ、慣れさせた。菊谷はイベントや取材対応で主将としての負担が大きいことを告げると、その後は選手たちが分担し、主将の負担が減っていった。「11年の苦い経験が、間違いなく15年に生きた」と畠山は確信している。

今年のW杯日本大会。悔しさと歓喜を味わった畠山は100年後を見据え「2119年を生きる人たちにも『日本大会がきっかけでラグビーがメジャーになった』と伝わるような大会にしてほしい」と願っている。(敬称略)(清水暢和)

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