アイルランド<中>悲劇の歴史にノーサイド

サッカーボールに似た球を持って走るゲーリック・フットボール。アイルランドの国民的スポーツだ=帯津智昭撮影

アイルランド最大のスタジアムが、首都ダブリンの北部にある。8万2300人収容を誇るクロークパーク。ラグビーやサッカーではなく、国民的人気を誇る伝統スポーツ「ゲーリック・ゲームズ」の聖地だ。

その競技の一つが、「ゲーリック・フットボール」。ラグビーとサッカーを合わせたようなゴールを狙い、選手たちはサッカーボールに似た球を持って走ったり、蹴ったりして得点を競う。各地にクラブがあり、身近な存在として根付いている。

ラグビーのアイルランド代表FBロブ・カーニーは、少年時代に母国発祥のこのフットボールをプレーしていたという。クロークパーク併設の博物館でガイドを務めるキーン・ノーランさん(34)は「だからカーニーはボールキャッチがうまい」と話す。

カーニーのような選手は昔はいなかった。ゲーリック・ゲームズを統括する「ゲーリック・アスレティック協会」が1970年まで、選手たちに英国発祥のラグビーやサッカーをプレーすることを禁止していたからだ。協会が発足した1884年当時、英国の統治下にあったアイルランドでは独立運動が活発化していた。「協会は国の独立を重視していた。海外の文化を排除しなければ強い国をつくっていけないという不安があった」と、同協会のアラン・ミルトン広報部長が背景を説明する。

2007年、節目のイングランド戦

クロークパーク併設の博物館で、ゲーリック・フットボールのクラブのエンブレム一覧を説明するガイドのノーランさん=帯津智昭撮影

協会の本拠地であるクロークパークは、独立戦争における悲劇の舞台にもなった。1920年11月21日の「血の日曜日事件」。英国軍がゲーリック・フットボールの試合中に発砲し、14人が犠牲になった。

アイルランドの人々にとって特別な場所であるこの競技場で2007年2月、英国文化を象徴するラグビーの試合が初めて開催された。「新しいアイルランドの国造りにおいては、非常に重要な節目の一つだった」とミルトン氏。ラグビー代表チームの本拠地が改修中で使えなかったため、特別に許可されたのだ。

同年2月11日、欧州6か国対抗のフランス戦の会場となった。そして、同24日には国民が複雑な感情を抱くイングランドともこのスタジアムで対戦した。アイルランドは43-13で大勝し、大観衆で埋まったクロークパークは歓喜に包まれた。

ミルトン氏の印象に強く残っているのは、勝利の瞬間ではない。試合前に国歌が演奏される場面だった。「英国との間には様々な緊張感があったが、英国の国歌が歌われた時、観衆はとても静かに聞いていた。アイルランドという国が成熟してきたことの表れだと思った」。同時に、ラグビーという競技がアイルランドの人々の記憶に深く刻まれた日でもあった。

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