W杯待つ 私たちの舞台…あと50日 元ラガーマン 建設・整備に奔走


フィジー戦で大勢のラグビーファンが詰めかけた釜石鵜住居復興スタジアム(7月27日、岩手県釜石市で)

フィジー戦で大勢のラグビーファンが詰めかけた釜石鵜住居復興スタジアム(7月27日、岩手県釜石市で)

ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会の開幕(9月20日)まで1日で50日となった。各地の試合会場では本番に向けた準備が着々と進む。会場の建設や運営に携わった人たちは、世界の一流選手たちが芝を駆け回る姿を心待ちにしている。


石山次郎さん

石山次郎さん

「復興の象徴」として東日本大震災の被災地で唯一会場となった「釜石
鵜住居(うのすまい)
復興スタジアム」(岩手県釜石市)。フィジー代表との日本代表戦が行われた7月27日、津波被害に遭った小中学校跡地に新設されたスタジアムには、かつて日本ラグビー界を引っ張った新日鉄釜石ラグビー部OBの石山次郎さん(62)の姿があった。同部で日本選手権7連覇に貢献し、釜石でのW杯開催に向けて旗振り役を務めてきた。スタンドで君が代を聞きながら「本当にここまで来たんだ」とグラウンドを見つめた。

石山さんは1988年に現役を引退し、その後、転勤で釜石を離れた。震災で甚大な被害を受けた釜石の惨状をテレビで見て、2週間後、赴任先の静岡県から支援物資を届けに戻ると、街はがれきに覆われていた。犠牲になったラグビー仲間もいた。すぐにV7時代の松尾雄治さん(65)らとともにNPO法人「スクラム釜石」を作り、ラグビーの体験教室を開くなど復興支援活動に取り組んだ。

W杯を釜石に――。震災から数か月後、仲間との酒席で、思いを打ち明けた。初の日本開催はすでに決まっており、会場誘致の提案だった。スタジアムもなければ、復興も始まったばかり。「V7時代のように皆が一緒に熱くなるものがあれば、復興に向けた街の力になる」。資料を手に釜石市長を訪ね、週末は各地のラグビー大会などでPRした。2015年3月、釜石での開催が決まった。

17年6月、定年と同時に、ラグビー人脈を頼りに、スタジアム建設工事を担う大成建設に再就職した。自宅のある千葉県に家族を残し、工事の施工管理に当たった。「8年前に口にしたことが、多くの人の努力で現実になった」。石山さんは、W杯の熱気とともに復興も肌で感じるつもりだ。

      ◎

「私にとって、とてつもなく偉大な場所」。大阪府の東大阪市花園ラグビー場でスタジアムマネジャーを務める奥井
幸史(よしふみ)
さん(44)は熱く語る。「ラグビーの聖地」と称される花園ラグビー場では、710インチの大型モニターやナイター設備が整備されたほか、座席を増やすなどの工事が7月31日に完了した。

中学時代にラグビーを始めた奥井さんは、天理高校(奈良県天理市)の3年生の時に花園出場を果たした。大学卒業後、ラグビーの街に関わりたいと思い、東大阪市の職員に。2005年から10年間、市立高校でラグビー部のコーチも務めた。W杯のために自ら希望して今のポストに就き、芝生の養生やスタジアム管理などに奔走している。奥井さんは「最高の準備をして本番を迎えたい。それまでは死にものぐるいで走り続けます」と意気込む。

      ◎

9月20日の開幕戦などが行われる東京スタジアム(東京都調布市)。改修工事をした西武建設(埼玉県)の大塚梨華子さん(25)は、ゴールポストを真新しいものに交換する作業に携わった。設置を終え、ゴールポストの前に立ってみると、ゴールの横幅が想像以上に狭く、「選手のゴールキックにはすごい技術力がいるんだ」と驚いた。

工事に携わったことをきっかけに、ラグビーへの興味を持つようになったという大塚さん。「このゴールポストで、日本代表が得点をたくさん決めてほしい」と楽しみにしている。

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