フィジー<上>厳戒下でも開催 国民熱狂

ココナツをボールに見立て、ラグビーで遊ぶ若者たち(フィジー北部ナヌアイマーダで)

真っ青な海と白い砂浜、そして頭上の青空と白い雲のコントラストも美しい。その下で歓声が響く。太平洋の島国フィジーで、若者たちがココナツをボールに見立て、ラグビーで遊んでいた。この国の日常でもある。

南太平洋のほぼ中央、大小300以上の島からなる人口約89万人のフィジーは、1874年に英国の植民地となり、まもなくラグビーが伝わった。1904年にクラブチームによる公式戦が始まり、協会の設立は日本よりも早い13年。ワールドカップ(W杯)は87年の第1回を含む7大会に出場している。

「大昔のフィジー人は、村同士で殴り合って水や食料を取り合い、最も強い男が集落の長になった。体をぶつけ合うことで勇気を示してきた国民性がラグビーに合ったのでしょう」。ラグビー協会のサレ・ソロバキ普及育成部長は冗談交じりに語る。

楕円球を愛する逸話には事欠かない。特に人気が高い7人制では、97年W杯で優勝したことを記念し、川を渡す橋にトロフィーの名が付けられた。2016年リオデジャネイロ五輪では国として初めて金メダルを獲得し、帰国した日はお祭り騒ぎに。ラガーマンが描かれた記念の7ドル紙幣も発行された。

クーデターは試合後に

クーデターの記事と隣り合わせでラグビーの試合を報じる地元紙

国際舞台に誇れる唯一無二の存在であると同時に、フィジー人にとってはアイデンティティーを感じさせるものでもある。

民族構成は6割弱を土着のフィジー系が占め、残りの大部分は英国植民地時代に労働力として入国したインド系だ。政策面でフィジー系が優遇されてきた歴史がある一方、インド系の人々は都市部で財を成して存在感を高めており、互いに快く思わない人もいる。

国内でラグビーに次いで人気のあるサッカーにはインド系の選手が多く、ソロバキ氏は「ラグビーはフィジー系のスポーツという意識が強い」と話す。民族対立が要因の一つともなり、1970年の独立後、政権に対するクーデターが何度か起きた。

ここでも、ラグビー好きの国民性が顔を出す。同協会などによると、2000年にはクーデターに伴う騒乱で戒厳令が敷かれる中でも試合開催が許され、多くの市民がナショナルスタジアムに集まったという。06年には、軍部が政府へ出した要求の回答期限を、軍隊と警察による「伝統の一戦」が終わるまで延ばし、試合後にクーデターを開始したと語り継がれている。

フィジーでは「ラグビーは信仰と同じ」という言葉がある。「小さな国で娯楽も少ない。だが私たちにはラグビーがある」とソロバキ氏は語る。その熱狂は、スポーツ以上のものがある。

 

 

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