南アフリカ<中>初出場V 歓喜で一つに

自国開催のW杯で、優勝した南ア代表のピナール主将(右)にトロフィーを手渡すマンデラ大統領(1995年6月24日)=ロイター

1995年6月24日は南アフリカ国民にとって忘れられない一日だ。ヨハネスブルクにあるエリスパーク・スタジアムで行われた自国開催のラグビー・ワールドカップ(W杯)決勝。アパルトヘイト(人種隔離政策)撤廃後、初めて出場を認められたW杯で優勝した南ア代表「スプリングボクス」に、ネルソン・マンデラ大統領が優勝トロフィーを手渡す。その光景に多くの国民が胸を熱くした。大統領が着ていた緑と金色の代表ジャージーこそ、非白人が長く「差別の象徴」として嫌っていたものだった。

不安の中で迎えたW杯だった。前年に就任したマンデラ大統領の下、多人種が住む「虹の国」の民主化を進めたが、白人と黒人の経済格差は埋まらず、非白人の不満は募っていた。アパルトヘイト撤廃後も、白人の象徴だったスプリングボクスではなく、相手チームを応援する人もいた。

チェスター・ウィリアムスさん

W杯が始まると、そんな雰囲気は徐々に薄れていった。南アは初戦で91年W杯王者の豪州に快勝して勢いに乗り、決勝では優勝候補のニュージーランドを延長の末に15―12で破った。チーム唯一の非白人選手だったチェスター・ウィリアムスさんは振り返る。「みんな僕らが勝てるとは思っていなかったが、自分たちは勝てると信じていた」

憎しみ消えた表彰式

表彰式。かつて自らも南ア代表を憎しみの対象としてきたマンデラ氏が、フランソワ・ピナール主将に祝福の言葉をかけた。ウィリアムスさんは「マンデラがジャージーを着ているのに、スプリングボクスを応援したくない人はいるだろうか」と感じたという。試合後は街中に人があふれ、人種に関係なく抱き合って新生南アの快挙を喜んだ。国が一つにまとまった瞬間だった。こうした光景は後に「インビクタス」という映画で描写された。

W杯開催から四半世紀近くが過ぎた今も、人口約5700万人のうち、約8割を占める黒人の多くが貧困に苦しむ。失業率は25%を超える高い水準が続き、数々の汚職疑惑が浮上したズマ前大統領が昨年辞任に追い込まれるなど、政治の混乱もあった。多人種を一つにまとめ、国を発展させるのは簡単ではない。

だが、かつてマンデラ氏が「スポーツには世界を変える力がある。人々を団結させる力がある」と語った通り、理念は歴代の代表選手に受け継がれている。

2015年W杯で主将を務めたジャン・デビリアスさんは「1995年W杯は南アの歴史の大事な一部。国全体に希望を与える責任を我々は背負っている」と語る。W杯日本大会メンバーのダミアン・デアリエンディも「スポーツは大きな希望を与え、皆を一つにする」と活躍を誓う。12年ぶり3度目の優勝を狙う今大会、国民の熱い視線がスプリングボクスに注がれている。

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