ラグビーW杯 つなげ 楕円球の未来…清宮克幸氏×森喜朗氏


元日本ラグビー協会会長の森喜朗氏(右)と同協会副会長の清宮克幸氏(10日、東京都中央区で)=松田賢一撮影

元日本ラグビー協会会長の森喜朗氏(右)と同協会副会長の清宮克幸氏(10日、東京都中央区で)=松田賢一撮影

ラグビー・ワールドカップ(W杯)日本大会は20日、開幕を迎える。日本は2011年W杯の招致に失敗したものの活動を続け、09年に今大会の開催を勝ち取った。招致活動の先頭に立った元日本ラグビー協会会長の森喜朗氏と、6月に同協会副会長に就任した清宮克幸氏が対談。30年来の付き合いという2人が、W杯日本大会への思い、今後の日本ラグビー界について語り合った。(司会は運動部次長・大塚貴司)

森氏…「観戦は国際交流の場」/清宮氏…「全勝で決勝T狙って」

 
開催まで16年

――いよいよラグビーW杯が開幕する。心境は。


森喜朗(もり・よしろう)氏 1937年7月生まれ。石川県出身。金沢二水高でラグビー部主将だったが、早大では体調を崩して退部した。文相、通産相などを経て、第85、86代内閣総理大臣。日本体育協会(現日本スポーツ協会)会長などスポーツ界の要職も歴任。2005~15年に日本ラグビー協会会長を務めた。14年、東京五輪・パラリンピックの運営を担う大会組織委員会の会長に就任した。ラグビーW杯組織委員会の副会長も務めている。

森喜朗(もり・よしろう)氏 1937年7月生まれ。石川県出身。金沢二水高でラグビー部主将だったが、早大では体調を崩して退部した。文相、通産相などを経て、第85、86代内閣総理大臣。日本体育協会(現日本スポーツ協会)会長などスポーツ界の要職も歴任。2005~15年に日本ラグビー協会会長を務めた。14年、東京五輪・パラリンピックの運営を担う大会組織委員会の会長に就任した。ラグビーW杯組織委員会の副会長も務めている。

森 <清宮先生>に試験の報告をする感じ。私が2005年に日本ラグビー協会会長になった時に一番先に会ったのが、清宮さんたち。「森さん、ラグビーの未来を考えなかったら、会長なんてやっても意味ないよ」って言われた。君は、早大の監督だったね。


清宮克幸(きよみや・かつゆき)氏 1967年7月生まれ。大阪府出身。早大2年時に日本選手権優勝。主将を務めた4年時は全国大学選手権を制した。サントリーでプレーし、引退後は早大監督として母校を13年ぶり大学日本一へ導くなど、5季で3度頂点に。サントリーでトップリーグ制覇、ヤマハ発動機で日本選手権優勝を果たした。今年1月に監督業を退き、6月に日本ラグビー協会副会長に就任した。長男はプロ野球、日本ハムの清宮幸太郎。

清宮克幸(きよみや・かつゆき)氏 1967年7月生まれ。大阪府出身。早大2年時に日本選手権優勝。主将を務めた4年時は全国大学選手権を制した。サントリーでプレーし、引退後は早大監督として母校を13年ぶり大学日本一へ導くなど、5季で3度頂点に。サントリーでトップリーグ制覇、ヤマハ発動機で日本選手権優勝を果たした。今年1月に監督業を退き、6月に日本ラグビー協会副会長に就任した。長男はプロ野球、日本ハムの清宮幸太郎。

清宮 よく言いましたね、30歳代で。「森さんね、やるならちゃんとやってくださいよ」と、そんな話をしました。

森 それで、ラグビーを(今後)どうするのか考えなきゃいけないと改めて思った。そういう意味で、清宮先生に「ここまで来ましたよ」と報告したい。

清宮 日本ラグビー協会がトップリーグを創設しようとしていた02年頃にも、森さんのところに相談に伺った。当時もう僕は早大監督だったけれど、Jリーグのように自立するプロリーグにしないといけないと。

森 (トップリーグ構想は)みんなにラグビーへの関心を持ってもらおうとスタートして、生煮えのところもあった。清宮さんにはそれが不満だったと思う。

清宮 当時は、Jリーグが(1993年に)始まって10年目。ラグビーも追い付かなきゃいけないという思いがあった。そして今、現実問題として、競技人口は10万人を切っている。そこをどうてこ入れしていくかが、僕の協会副会長としてのミッションの一つです。

森 僕がW杯招致に動き出したのは2003年。W杯豪州大会の決勝へ、豪州首相に招かれた。日本が招致の意思表示をするセレモニーがあったが、そこから招致に入り込んだ。日本の競技人口は実は世界でも上位で、歴史も長く、(大学の)早明戦などは国立競技場が満員になる。そういうことを世界に向けて言ってきた。日本でW杯を開催すれば、世界のラグビーに必ず寄与できるというのが僕のうたい文句だった。だから今、清宮さんの話を聞くと、先々が心配になる。

 
奥さんへ誓う

――森会長が招致に力を入れたのには、外交官の奥克彦さんの存在もある。

森 私のところに(元早大監督、元日本代表監督の)大西鉄之祐先生から手紙が来た。お前と同じように悩みながら、ラグビーをやめたのがいる、それが奥だ、という趣旨だった。彼は、ラグビーと外交官試験の勉強の両立はできないと悩んで、外交官になった。私もラグビーをやめて政治の道に入った。それで会うようになった。

 ――心ならずも
楕円(だえん)
球の道をあきらめたという共通点があった。

森 彼が外務省の国連政策課長になると、官邸に毎日来た。W杯招致の分析をして頑張ろうって話し合った。私が首相をやめた01年、彼は英国でW杯招致の運動をするから赴任させてくれと言ってきた。外務省に話を通したが、過ちだった。彼は赴任先の英国からイラクへ出張した。彼を応援して行かせた俺が悪い。奥のために、W杯(開催権)をなんとしても取らないといけないと思った。

清宮 そこですよね、使命感というか、森さんの中でスイッチが入ったのは。奥さんがロンドンから一時帰国した時に、僕と奥さんが森さんと会い、奥さんは「W杯を日本でやりましょうよ」と元気に話していたことを思い出します。

――11年大会招致に失敗した時は、伝統国の壁を感じたのでは。

森 国連ではどんな大国も、どんな小さな国も1票ずつ。どうしてラグビーは(イングランド、ニュージーランドなど)「大国」だけが2票ずつ持っているんだ、と。ラグビーというのはボールを展開するもの。7人か8人の連中で(開催権を)持ち抱えててね、どうして展開しないんだ、と。あの後、国際ラグビーボード(IRB=現ワールドラグビー)も改革され、日本のことも無視できなくなってきた。我々がW杯を成功させたら、国際ラグビーの新たな展開のきっかけになる。

清宮 日本としては、W杯を開催した後、日本ラグビーがどう変わるのかを見せていかないといけない。日本がどういう回答をしていくかというところに、僕が宣言しているプロ化は合致していくんです。

 
変革こそ遺産

――W杯のレガシー(遺産)はどのようにお考えですか。

森 ラグビーの精神が息づくことだよ。

清宮 競技する人、見る人が増え、競技レベルが上がり、世界を巻き込んでいく。過去とは違うことが起きる。イノベーション(革新)されていくことがレガシーです。

森 W杯が終わったら、日本が何をやるのか見せますということは、(招致にあたっての)公約なんです。日本ラグビー協会も変わらないといけない。変わるんだな、前に出るんだなと思わせてくれるのが清宮さんだった。

――日本協会副会長として今のところの手応えは。

清宮 僕には大義がある。W杯が開催されるのに、この後、何も変わらなくていいのか。組織も日本代表もトップリーグも社会人リーグもそう。集客はどんどん減って、放映権料はわずか。自分のお金を出して見に行くファンはあまりいないのが現状だ。

――プロ化構想に関して、ラグビー選手は現役引退後、所属企業で活躍するという文化もありました。

清宮 今のトップリーグは、昔の社会人ラグビーにあった財産、人材を作って社会に貢献するという部分が薄くなっている。多くの選手はラグビーに専念している。引退の頃には(仕事面で)周囲と差がついている。プロリーグとは別に、ラグビー選手としても社会人としても成長しながら燃焼して、社会に影響力のある人間になるようなストーリーを作る。プロで攻め、社会人で守るような二つのリーグを発足させたい。

――社会人リーグの方はあまり注目されないのでは。

清宮 イメージは都市対抗野球。4万人のファン、応援団が集まる。あれをラグビーで作るべきだ。

――ラグビーW杯が、来年の東京五輪・パラリンピックにもつながると期待されます。

森 どのスポーツもそうだが、特にラグビーは人の交流の場。観戦に訪れた外国人は、試合間隔が空くから各地を回る。ビールを飲み、人が交流する独特の雰囲気がある。こういう人間関係をみなさんに知ってほしい。本当のもてなしでもあるし、国際社会の中に日本人が入っていく、一番良い手段だと思う。

――日本代表の評価、期待はいかがでしょうか。

森 6日の南アフリカ戦は、悪い部分が出た。

清宮 ただ、体の大きさ、強さは今、南アフリカが世界一です。日本としてはグループリーグ全勝を狙うべきだと思います。

森 (開幕戦の)ロシア戦は簡単だと思っちゃいけない。昨秋も僅差で勝った。油断しちゃいかん。

 
◆奥克彦さん
=兵庫県出身。早大で期待の大型フルバックだったが、外交官を目指すため2年生の時に退部。留学先の英オックスフォード大で日本人初のレギュラー選手となった。在英大使館参事官だった2003年、イラクへ長期出張中の11月に銃撃事件に遭い、45歳で死去。大使に昇進した。

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