平尾誠二さんが選んだジョセフHC、命日にW杯南ア戦

ラグビーワールドカップ(W杯)日本大会の準々決勝で、日本は強豪・南アフリカと10月20日に対戦する。この日は2016年に53歳で早世した「ミスター・ラグビー」こと平尾誠二さんの命日にあたる。選手として、指導者として、1980年代から日本ラグビー界を引っ張ってきた平尾さんが最後に手掛けた大仕事が日本代表の指揮官選びで、その時に就任したのが現在のジェイミー・ジョセフヘッドコーチ(HC)だ。

日本を知る名将として見いだす、現役時代も代表招集

8強入りを決めて選手と喜ぶジェイミー・ジョセフHC(左)。右はサングラスを手に選手を見守る日本代表監督時代の平尾誠二さんとコーチだった土田雅人さん(1999年5月撮影)

ジョセフHCと平尾さんの縁は、1999年に始まる。

日本代表監督だった平尾さんは、母国ニュージーランドで代表歴があったジョセフ選手をチームに招集し、その年のW杯でも主力フォワードとして起用した。W杯は3戦全敗に終わったが、平尾さんはジョセフ選手をはじめ日本への愛着を持ってプレーする外国出身の実力派選手を積極的に選んでチームを強化しようとしていた。この時の平尾ジャパンは、現在も続くこの強化方針を、初めて前面に押し出した代表チームだった。

平尾さんは2015年の前回W杯後、日本ラグビー協会の理事として、エディー・ジョーンズ前日本代表監督の後任人事を手掛け、再びジョセフHCを見いだす。すでにがんとの闘病が始まっていたが、同志社大時代からの盟友で平尾ジャパンをコーチとして支えた土田雅人理事(56)とともに、理事会での議論を主導した。現在も理事の土田さんは言う。

「ジェイミー・ジョセフを選んだのは、平尾と私。まず、『日本のことをよく理解していること』を必須条件としてHC候補者をリストアップした。さらに、相当深いミーティングと分析を重ね、私たちが率いた日本代表でもサニックス(福岡県宗像市)でもプレーしたジョセフに絞り込んだ。指導者としても、ジョセフは南半球の最高峰リーグ戦『スーパーラグビー』でハイランダーズ(ニュージーランド)を率いて優勝した実績を持つ。ハイランダーズでジョセフの相棒だったトニー・ブラウンをコーチとして、元平尾ジャパンのフォワードでヤマハ発動機の指導者だった長谷川慎をスクラムコーチとして迎えることでも、平尾と私は意見の一致をみた」

3人とも就任が実現して翌年発足したジェイミー・ジャパンのチーム状況を、平尾さんは亡くなる間際まで気にかけ続けた。「平尾に会うと必ず『ジョセフやブラウンはどうや?』『あの選手はどうなっている?』という話になった。あんな病気をしているのに、日本のラグビーを最後まですごく気にしていた」と土田さんは振り返る。

「導きとしか思えない」準々決勝へ、高ぶる関係者

平尾さんの遺志を継ぐように、ジェイミー・ジャパンは力をつけた。今大会はアイルランドやスコットランドを名勝負の末に撃破するなど4連勝の快進撃で、初のW杯決勝トーナメント進出を成し遂げた。そして、平尾さんの命日に行われる南アフリカとの準々決勝までこぎ着けた。4年前に世界を驚かせた大金星の再現と、さらなる歴史的勝利を目指す一戦を前に、土田さんは「平尾と一緒に首脳陣を選んだチームだけに、なおさら楽しみ」と興奮を隠せない。

平尾さんが統率した神戸製鋼の親しい後輩で、現在は日本ラグビー協会の広報部長として代表チームを支える藪木宏之さん(53)は「命日に南ア戦。絶対に平尾さんが導いてくれたと思う。選手やスタッフの頑張りはもちろんだが、運命を感じてならない」と、言葉に力を込めた。

また、日本代表スクラムコーチの長谷川さんは16日、チームの記者会見で登壇し、平尾さんへの思いの丈を口にした。

「平尾さんの話になると、ちょっと感傷的になってしまう。僕を日本代表に選んでくれたのも、試合に出してくれたのも平尾さん。99年W杯開幕戦の前日、部屋に帰ったら手紙が置いてあって、僕の性格やそれまでやってきたことについて、励みになることが書いてあった。この人のために頑張ろうと思ったのを思い出す。代表のコーチとしてW杯に出たいと僕が思ったのも、平尾さんとあのときの土田さんの関係を見ていたから。そういう特別な人の命日に特別な試合がある。しっかり恩返しできるように、そのことだけを考えてラグビーをやりたい」

平尾誠二(ひらお・せいじ)

1963年1月21日生まれ。京都市立陶化中でラグビーを始める。京都市立伏見工高3年で全国制覇。同志社大に進み、中心選手として史上初(当時)の大学選手権3連覇に貢献した。卒業後は約1年間の英国留学を経て神戸製鋼入り。新日鉄釜石と並ぶ日本選手権7連覇を成し遂げた。日本代表通算35キャップ。W杯には第1回の1987年から3大会連続出場。91年大会でジンバブエを破り、日本のW杯初勝利に貢献した。現役時代のポジションはスタンドオフ、センター。97年に日本代表監督就任。99年のW杯では監督として日本代表を率いた。神戸製鋼ゼネラルマネジャー、日本ラグビー協会理事、日本サッカー協会理事、ラグビーW杯2019組織委員会理事なども歴任。2016年10月20日、胆管細胞がんのため、53歳で死去した。

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