南ア戦は平尾さんの命日、長男「目に焼き付ける」

 父・誠二さんの思い出を語る長男の昂大さん(神戸市兵庫区で)
父・誠二さんの思い出を語る長男の昂大さん(神戸市兵庫区で)
 神戸製鋼で活躍した平尾誠二さん(1994年10月撮影)
神戸製鋼で活躍した平尾誠二さん(1994年10月撮影)

ラグビー・ワールドカップ(W杯)で初の8強入りを果たした日本代表が南アフリカ代表と準々決勝を戦う20日は、3年前に53歳で逝った元日本代表、平尾誠二さんの命日にあたる。W杯招致に尽力し、誰よりも大会の成功を願った「ミスターラグビー」との不思議な縁。長男・
昂大(こうた)
さん(25)は墓前に日本の躍進を報告した後、父の思いを胸に会場となる東京スタジアムに駆けつける。

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国内の大手企業で営業マンとして働く昂大さんは、日本の全4試合を観客席で見守った。13日、日本がスコットランドを破ってグループリーグA組を1位で突破し、次戦が父の命日に決まると、不思議な感覚にとらわれた。京都・伏見工高(現・京都工学院高)、同志社大、神戸製鋼で日本一を成し遂げ、代表の桜のジャージーでも活躍した父は、常に日本ラグビーの中心にいて、
楕円(だえん)
球を思い通りに操った。大一番が命日と重なる偶然も、息子には、父が描いていたシナリオのように思えた。

物心ついた頃、平尾さんは既に神戸製鋼の指導者になっていた。多忙でほとんど家にいなかったが、早朝にカブトムシ捕りに出かけたり、深夜に行きつけの豚骨ラーメン店に連れ出されたり、思い出は尽きない。ラグビーは強要されず、中学までは野球、バスケットボールに熱中した。高校で少しだけラグビークラブに通うと、「父は母の前でとても喜んでいた」と聞いた。

高校1年の夏から米国留学し、一時帰国すると一緒にラグビー観戦に出かけた。2015年9月、胆管細胞がんが判明してからも、神戸製鋼の試合に通い、「負けると怒って、『これだけ怒れるんやったら、俺もまだ元気やな』と言っていたけど、ストレスでがんが大きくならないか、気が気じゃなかった」と振り返る。

留学に賛成してくれた父は、国際電話で息子にこう告げたことがあった。「男は親の死に目に会えると思うな。だから帰ってくるな」。受話器の向こうで父が涙を流していたのは、後に母から聞いた。最後に病室を訪れたのは16年の10月19日。握手をして別れ、卒業試験のため渡米すると、翌日、飛行機を降りてまもなく、母から父の死を告げられた。

平尾さんは闘病中、四つのことを気にかけていた。自分が亡き後の妻、親より先にこの世を去ること、心血を注いだ神鋼ラグビー部、そして、W杯日本大会が成功するか、だ。そのW杯が日本の躍進とともに、かつてない注目を集めている。

前回W杯イングランド大会で日本が南アを破った歴史的番狂わせを、平尾さんは「出来過ぎや」とうれしそうに話していたという。今大会、昂大さんは「観客席のどこかに、父が脚を組んで座っているんじゃないか」と思うことがある。本当なら一緒に見たかった南ア戦。父の分まで目に焼き付けるつもりだ。

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