花園ラグビー物語~「1勝」の夢が行き交う聖地

大規模改修された「東大阪市花園ラグビー場」(東大阪市提供)

「花園」こと、東大阪市花園ラグビー場は高校ラグビープレーヤーの憧れの地だ。彼らは年末に始まる全国大会で、冬でも鮮やかなグリーンの芝を踏むことを夢見る。出場校の目標は、まず「1勝」。これが、なかなか果たせない夢でもある。この冬、5年連続13回目の出場を果たした香川県代表・高松北も、その「1勝」を目指し、この地へ乗り込んだ。

レギュラーとして3年連続出場となる主将、高木涼矢さん(18)は「1年の時は体ができていなかった。みんなより少しでも多くと思ってトレーニングを積み、2年では相手に当たり負けしなくなった」と話す。最終学年の今大会の目標は、もちろん初戦突破だ。

父子で「花園1勝」を目指した高松北の高木智監督

初勝利は、監督の高木智さん(52)の悲願でもある。平成が始まった1989年に赴任し、同好会としてラグビー部をスタートさせた。それから30年の節目を迎え、涼矢さんと父子で臨む最後の大会でもある。

「花園1勝は卒業生、保護者、応援してくれる方々も本当に望んでいる。僕だけの目標ではないんです」。力を込めて語る。

1回戦は12月28日に行われた。対戦相手は岐阜県代表の関商工だ。開始直後は攻め込む場面もあったが、自陣ゴール前でペナルティーを犯し、トライを許してしまう。フォワードの平均体重が83キロの関商工に対して、高松北は77キロ。体格差は否めず、ディフェンスの穴もつかれて0―56で折り返す。後半も関商工ペースで進み、0―89で敗れた。

「相手は体が一回り大きく、ブレイクダウンで押されてテンポを作れなかった」。涼矢さんは、密集でのボール争奪戦で劣勢に立たされたことを敗因に挙げた。

スタンドの応援団にあいさつする高木主将(右端)ら高松北の選手たち

悔しさをにじませる涼矢さんに、高校のラグビー生活で得たものは何かと聞いた。

「チームが一つになるという、スポーツの楽しさを実感できた。全国のレベルを実感できた。大学でもラグビーを続けます」。高校卒業後は、父・智さんがプレーした大阪体育大学に進む予定だ。

「空飛ぶウィング」坂田好弘さんとの縁

高木智さんにとって、香川は縁もゆかりもない土地だった。「坂田先生に『香川県で教員をしてラグビーを普及したらどうか』と言われたのがきっかけです」と、理由を教えてくれた。

「坂田先生」とは、大阪体育大学ラグビー部の監督だった関西ラグビー協会の坂田好弘会長(76)だ。2012年、日本人で初めてラグビーの殿堂入りをした。

1968年、日本代表はニュージーランド遠征で、国代表に次ぐオールブラックス・ジュニアに23―19で歴史的勝利を収める。坂田さんはこの試合で4トライを挙げた。「ラグビーはいろいろな条件がそろわないとは勝てない」と振り返る。

「空飛ぶウィング」と評された坂田好弘・関西ラグビー協会会長

「ニュージーランドとは体格差が大きく、スクラムやラインアウトで確実にボールを取れるわけではなかった。相手に当たればはね返される。トライを取るには相手との接触を避けるのが大前提だった」

当時、日本代表の大西鉄之祐監督が取った戦法が「展開・接近・連続」だった。相手と接触する寸前にボールを展開し、ディフェンスを突破する連続攻撃を仕掛ける。ウィングの坂田さんの役割は「突破」にあった。

「ボールを受けた瞬間、トライまでつながる走るラインが見えることがある。オールブラックス・ジュニア戦での三つめのトライは確実に見えた。相手選手に触れられもせずにパン、パンと抜けましたから」

その活躍を「空飛ぶウィング」と評された名選手は続ける。

「今の日本代表はセットプレーのボールは取れるようになった。トライを取るための『ジャパンオリジナル』の戦法が加わればもっと強くなる」

日本でラグビーをより普及するためには何が必要か? 坂田さんの視線は来年のラグビー・ワールドカップ後を見据える。

「大会後、ラグビーの試合を優先して行える競技場をいくつ確保できるか。それがワールドカップの遺産(レガシー)になる」

竣工90年、新たな歴史を開く

「ラグビーの博物館」と自ら呼ぶ坂田会長の自宅。貴重な品々が所狭しと並ぶ

坂田さんは現役時代、花園を本拠地とする近鉄でプレーをした。「以前はスタンドの下に合宿所があり、選手も暮らしていた」と懐かしむ。

花園ラグビー場は1929年、1万2000人を収容する東洋一のラグビー専用球技場として完成する。メインスタンドには「大鉄傘」(大屋根)を備えていた。この大屋根は第2次世界大戦の金属回収で撤去される。その後は食料増産のため農場に転用され、戦後の一時期、連合国軍に接収された。

全国高校大会の舞台となったのは、1963年度の第42回大会からだ。それまでの西宮球技場が、名神高速道路建設のため規模を縮小されたためだ。記念すべき「花園第1回大会」を制したのは奈良の天理だった。現在、東大阪市花園ラグビー場スタジアムマネージャーを務める奥井幸史さん(44)の母校でもある。

奥井さんは1992年度の第72回大会にフランカーとして出場した。花園常連の名門校は優勝を目指したが、かなわなかった。

「花園の思い出ですか? 試合のほか、入場行進で緑の芝を踏んだことが記憶に残っています」

冬でも鮮やかなグリーンの芝は花園の象徴だ。毎年5月に冬芝をカットする。夏芝を生やしてはカットし、その後、冬芝の種をまく。こうした年間を通じた作業が高校生の夢舞台を作り上げる。

ワールドカップを前に、花園ラグビー場は大規模な改修工事を終えた。東スタンドには「HANAZONO」の青い文字が浮かび上がる。新設の北スタンド上部には大型映像装置が設けられ、背もたれ付きのシートは座り心地がいい。かつてのラグビー資料室は、日本ラグビーの歴史を知り、仮想現実(VR)の映像によってラグビーの魅力を体感できる「ラグビーミュージアム」へとグレードアップした。

最寄りの近鉄奈良線・東花園駅から、ラグビー用品店などが並ぶ「スクラムロード花園」を10分弱歩くとたどり着く。「HANAZONO RUGBY STADIUM」を掲げるラグビー場は、季節を感じさせる夜間のライトアップが「聖地」の雰囲気をさらに盛り上げて印象的だ。

ライトアップされた花園ラグビー場

花園ラグビー場の試合日程
▽予選プール
9月22日(日)イタリア 対 ナミビア
9月28日(土)アルゼンチン 対 トンガ
10月3日(木)ジョージア 対 フィジー
10月13日(日)アメリカ 対 トンガ

渡辺 嘉久(わたなべ・よしひさ) 読売新聞東京本社編集委員。1964年、東京都生まれ。1987年、読売新聞東京本社入社。青森支局、社会部、政治部、世論調査部などを経て2013年から現職。「若者と政治」をテーマに幅広い分野を取材する。年間企画「平成時代」、夕刊「密着」なども担当。大学時代に同好会でラグビーを始め、入社以来のブランクを経て40歳過ぎで再開。今も時々、プレーを楽しむ。

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