ラグビー、サッカー、オリンピック「決勝×3」は世界初~横浜国際の小倉純二・名誉場長インタビュー

ラグビーのワールドカップ(W杯)日本大会で、決勝の開催地となる横浜国際総合競技場(以下、横浜国際)の小倉純二・名誉場長(80)が、ヨミウリ・オンライン(YOL)のインタビューに応じた。横浜国際は2002年のサッカーW杯日韓大会でも決勝会場だったスタジアム。その日韓大会で「トーナメント・ダイレクター(大会本部長)」を務めた小倉名誉場長は、後に日本サッカー協会長も担ったサッカー界の重鎮だ。横浜国際の責任者として今、ラグビーとサッカーの違いを越えて大会運営のノウハウを生かそうと、尽力している。(聞き手=読売新聞メディア局編集部・込山駿)

横浜国際は今年、フランスのサンドニにある「スタッド・ド・フランス」に続き、世界2か所目の両W杯決勝会場となる。これまでにサッカーは21回、ラグビーは8回、W杯を世界各地で開催しており、両競技のW杯を経験した国も複数ある。だが、その決勝は、たとえばイングランドや南アフリカなどが別々のスタジアムで行ってきた。

加えて横浜国際では2020年、東京オリンピックの男子サッカー決勝も開催される。世界3大スポーツイベント全てで決勝会場となるのは世界唯一だ。

――このスタジアムに「W杯決勝」が帰ってきますね。

「サッカーのW杯とラグビーのW杯、オリンピックは、スポーツファンから『世界3大スポーツイベント』と呼ばれています。それらの決勝が三つとも行われる競技場は世界初で、大変ありがたい名誉を与えられました」

横浜国際総合競技場(本社ヘリから、2018年12月13日撮影)

新国立から決勝が二つ「来てくれた」

――ラグビーW杯の決勝会場は、なぜ横浜国際になったのでしょうか。

「観衆7万2000人を収容する、日本最大規模のスタジアムですから。とはいっても当初の計画では、決勝は新国立競技場で行われるはずでした。事情が変わって、横浜国際に来てくれることになりました。ラグビーW杯の日本開催が決まったのは2009年7月で、15年3月には東京と横浜を含む12の開催都市も決定しました。ところがその後、新国立の建設計画が、ご存じの通り紆余曲折したのです。2015年7月になって『東京五輪までには完成するけれども、ラグビーW杯には間に合わない』となってしまいました。『それでは決勝は横浜国際でやりましょうか』というわけです」

――東京五輪の男子サッカー決勝が決まった経緯は。

「これも、当初は新国立でという話でした。実際、女子サッカーは、決勝が新国立で行われますしね。ところが、大会日程を詳しく詰めていくと、女子決勝の翌日か翌々日に男子の決勝を新国立で実施した場合、閉会式の演出準備を整えきれないことが分かりました。閉会式を新国立で行わないわけにいきませんし、マラソンのスタートゴールもあります。そういうわけで、男子サッカー決勝も横浜国際に出番が巡ってきたのです。ちなみに、2012年ロンドンオリンピックも、閉会式と男子サッカーの決勝会場は別々でした。現代の五輪開催地には、巨大スタジアムが二つあった方がいいということだと思いますね」

――それにしても、小倉さんがリーダーをしているところには、大きな幸運が次々ともたらされます。

「いやぁ、それは確かにそうなんですね。日本サッカー協会の会長だった2年間には、なでしこジャパン(サッカー日本女子代表)が女子W杯に初優勝して、アジア大会は男女アベック優勝、男子のアジアカップも優勝してくれました。元会長の先輩から『アンタほど勝った協会長は、ほかにいないよ』なんて言われたものです。それで、こうして横浜国際に来たら決勝が次々と行われることになりました。ラグビーW杯では、決勝や日本―スコットランドなど人気カードが計7試合も組まれています。ありがたいことです」

芝、座席、LED照明…新生スタジアム

改修された横浜国際のハイブリッド芝(上)と跳ね上げ式の座席

――ラグビーW杯と東京五輪を見据えて、横浜国際は様々な装備が改善されたそうですね。

「2017年末から18年にかけて、大規模改修を実施しました。まず競技場面では、芝を変えました。天然芝から、人工芝を混ぜた『ハイブリッド芝』へ。天然芝を人工芝に絡みつかせるようなやり方を採っています。ラグビーは選手の体が大きくて、思い切り踏ん張るスクラムもありますから、芝にかかる重量がサッカーとはかなり違います。それに耐える、強い芝が求められます。まだ張り替えたばかり。ラグビーW杯までには天然芝と根っこがもっと育って、より強度が高まるでしょう。13メートルだったゴールポストの高さも、W杯規格を満たす17メートルになりましたから、ゴールキックが決まったのか外れたのか、以前よりもファンにとって見やすくなりました」

「ハイブリッド芝については、ラグビー界からの要望もありましたが、実はサッカーの競技場にも最近は相次いで導入されています。昨年のサッカーW杯ロシア大会の試合会場も、大半がハイブリッド芝の競技場でした。時代の潮流と言えるのではないでしょうか」

――スタンドの設備も、さらに充実したのですよね。

「座席数は変わりませんが、メインスタンドとバックスタンドの座面を跳ね上げ式にしました。従来の固定式よりも座席間の前後が広がり、通行しやすくなりました。長時間座って疲れにくい設計にもなっています。サッカーW杯の時より、快適に観戦していただけます。照明もLED式になりました。ラグビー界や国際オリンピック委員会(IOC)が要求する明るさをピッチ全体で均等に満たしているうえ、セレモニーやコンサートの光の演出にも自在に活用できます。トイレも全て洋式化し、空きがあるかどうかが分かる表示がつきましたから、行列や混雑が緩和される効果を期待しています」

難題を乗り切った、思い出の2002

W杯を高々と差し上げて優勝を喜ぶブラジルのカフー主将。足元では関係者が両側から支えていたという(02年6月30日、横浜国際で)

小倉名誉場長が大会本部長を務めた2002年サッカーW杯日韓大会は、警備やチケット販売など、難しい運営問題が続出した。それらを乗り切り、大会は世界中のファンを楽しませ、日本のスポーツ史に貴重な1ページを刻んだ。

――サッカーW杯の日本側運営責任者として、苦労した点は。

「まずは、天気です。日本は梅雨で、韓国も雨期。特に荒れやすい7月上旬を避けようと、開催時期を6月30日決勝として、通常より半月ほど前倒ししました。大会中は、気象情報を提供する会社から最新のデータを取り寄せ、キックオフ時間や会場、各チームの移動・宿泊の日程が予定通りでいいか、変更する場合はどんな対応がありうるかなどを、毎日話し合っていました。ラグビーW杯は秋なので、あの時ほど心配していませんが、秋も豪雨や台風はあるので油断はできません。来夏の東京オリンピックは、暑さや台風が気掛かりです」

――天気以外にも、運営課題は多かったのではないですか。

「大会前は『イングランドからフーリガンがやってくる』という不安が広がって、大騒ぎでした。結局、大会中に日本で暴動は起きませんでした。イギリス当局が、フーリガンの要注意人物を前もって700人以上もリストアップしていて、『我々はイギリスの恥を決して輸出しない』と彼らのパスポートを無効にしてくれていたのです。警備は、やはり事前の準備が大切ですね」

「残念だったのが、空席問題です。国際サッカー連盟(FIFA)から海外向けチケットの販売を、あの時に初めて委託されたバイロム社の不始末でした。満員になっているはずのスタンドに、大量の空席が発生したのです。バイロムが、売れ残りチケットを再販売したり日本側に託したりする措置をとらなかったこと、見切り席(柱や広告看板などの陰で試合が見えにくいために売らないはずの席)と売れ残り分を間違えて再販売したことなどが原因です。日本が敗退した宮城でのトルコ戦でも約700席が空き、私は当時、記者会見で怒りをぶちまけたものでした。現在は、ラグビーW杯を含む国際スポーツ大会のチケット販売方法も改善されています。私も空席問題の経験をラグビー界に伝えていますし、チケット問題には手を打てるようにしてあります」

――2002年は横浜国際にとってどうだったのでしょう。

「対ロシア戦で、日本がW杯での初勝利を挙げ、ファンが大喜びしたスタジアムですね。ブラジルとドイツの決勝もいい試合になってくれて、ホッとしました。表彰式では、優勝したブラジルのカフー主将がカップを差し上げる時、カップが置いてあった台に上ってしまったのが想定外でした。台が倒れて落っこちては大変だと、カフーのそばにいた当時のFIFA会長たちが支えて、無事に済みましたけどね」

生かしたい17年前のW杯運営経験

サッカーで熱狂と歓喜の舞台となった17年前の経験を、横浜国際はラグビーでも生かしたいところだ。横浜国際では昨年10月27日、ニュージーランド―オーストラリアという強豪同士の国際試合が開催され、W杯への準備が進められている。

――ラグビーW杯を開くうえで、このスタジアムの強みとは。

「6万人以上の大観衆が集まる試合に、関係者がみんな割と慣れているんです。普段のJリーグ公式戦の観衆は2万~3万人というところですが、クラブW杯などでは満員の試合をたびたび運営してきましたから、W杯日韓大会後も経験を重ねています。慣れない人ばかりだと、観衆の誘導などが大変になりますけど、ここはスタジアムや県庁、市役所など、どこにも経験豊富な職員が残っています。ボランティアにも場数を踏んだ人がたくさんいるのが、心強いです」

――ボランティアは何人くらいいるのでしょうか。

「約300人もいて、うち六十数人が日韓大会経験者です。あの当時、多くの開催地の周りにボランティア団体が誕生しましたが、閉会後に軒並み解散しました。活動を継続している団体は、ここの『日産スタジアム運営ボランティア』だけだと聞いています。Jリーグの横浜Fマリノスの試合やサッカー日本代表戦、マラソン大会、トライアスロン大会などで会場運営を手伝ってくれています。さらに、地元の『よこはま2002ボランティアの会』という団体が、いつも協力してくれます。メンバーには外国語ペラペラの商社OBなどがいるので、スタジアムでイベントがある時だけでなく、横浜港に外国客船が着いた時などにも、外国人客らに横浜の街を案内しているそうです。サッカー界と違って、日本のラグビー界はこれまで、試合運営にボランティアが活躍することが少なかったそうです。そんな状況が今年、大きく変わる気がします。日本ラグビー界の『ボランティア活躍元年』になるでしょうね」

――ただ、横浜は複数のJクラブのホームタウンで、サッカーのイメージが強い街です。ラグビーと結びつく印象が、正直言って現時点では薄い気がします。

「この横浜国際でも、ラグビーの試合はほとんど開催されてきませんでした。ただ、横浜は日本ラグビー発祥の地と言われています。慶応大の日吉にあるラグビー場には「日本ラグビー蹴球発祥記念碑」があって、僕も見たことがあります。1899年に英国人教員が学生に教えたのが日本ラグビーの起源だといった説明を受けました。ただ、それよりも30年ほど前に居留地の外国人たちが、クラブチームをつくってプレーしていたという話もあるそうですね。現在はニッパツ三ツ沢球技場で、ラグビー・トップリーグの公式戦も行われています。横浜市内から全国高校ラグビー大会の優勝校も出ていますし、横浜市が実施するラグビースクールで競技を始める子どもも多いそうです。ラグビーの歴史は、ある街なんですよ」

――横浜国際で昨年10月、ニュージーランド―オーストラリアというラグビーの国際試合がありました。試合運営を1度経験し、課題は見えてきましたか。

5万人の集客目標を立てて、46143人。届かなくて、ちょっとだけガッカリしました。サッカーと違うなと思ったのは、試合開始の何時間も前からスタジアム周りに来て食事したりイベントを楽しんだりしているような人たちが、あまりいませんでした。試合開始まで1時間を切らないと、お客さんがスタジアム周りに集まってきません。そういう人の動き方が、我々がサッカーのノウハウで読むのと違うんですよね。その影響で、手荷物チェックをするゲートが、一部で大混雑しました。まあ今後、慣れていくと思いますけどね」

「サッカーの場合は、ホームチームとアウェーチームのサポーター席を明確に分けて売り、スタジアムの行き帰りに両チームのサポーターが接触しないような構えをとります。ところが、ラグビー界では席を明確に色分けしたチケットの売り方をしていないようで、相手サポーターと隣り合っているような場所もみられました。試合結果や展開に腹をたてた観客が、相手側の観客とこぜりあいを起こすような事態を、確かにラグビーではあまり聞いたことがありません。試合が終わったら敵味方なしという『ノーサイド精神』が、客席まで浸透している『紳士のスポーツ』だということなのでしょうか。入り口の混雑に怒って暴れだすような人がいなかったことも助かりましたね。そんな観客の皆さんが、ものすごく大量のビールを飲まれます。売れ行きがサッカーとは全然違ったって、売り子さんが話しているそうですよ」

ラグビーとサッカー「共存できるはず」

インタビューに答える小倉名誉場長

――小倉さん個人と、ラグビーの縁は。

「サッカーと違って、縁が深いわけではありませんけど。それでも、早稲田大学時代は早明戦の応援に行ったりしていました。それから、198187年に古河電気工業の社員としてイギリスのロンドンに勤務したのですが、サッカー観戦に熱中しただけでなく、ラグビーの聖地といわれるトゥイッケナム競技場にも行ってイングランド代表の国際試合を観戦したものです。テレビでも、ラグビーの試合中継をよく見ました。ちょっと違うルールでやっているプロのリーグ戦でしたけど。そんな個人的な経験もあるので、私はサッカーとラグビーの文化は共存可能だと思っているのです」

《プロフィル》
小倉 純二(おぐら・じゅんじ)

1938年8月、東京都生まれ。早稲田大を卒業後、古河電気工業に入社。会社の寮にはサッカー部員が大勢いて、その一人だった先輩の川淵三郎氏に頼まれて部のマネジャーになったのが、サッカーとの関わりのスタートとなった。会社では主に経理畑で部長や子会社の取締役を歴任。約6年間のロンドン駐在員事務所長時代は、日本サッカー協会国際委員の肩書で試合や施設を見ながら欧州各地を回り、その見識を帰国後はJリーグ設立準備に役立てた。

1992年に古河電工を退社し、日本サッカー協会専務理事に。協会副会長だった2002年のW杯日韓大会で大会本部長。W杯後の02年8月、FIFA理事に当選し、11年6月に定年で退任した。日本サッカー協会では2010年7月から2年間、会長を担った。協会での現在の肩書は最高顧問。日本フットサル連盟名誉会長、横浜国際総合競技場の名誉場長も務めている。

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