ミスタータイガース

掛布雅之 フォト物語

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制作・著作 読売新聞

「ミスタータイガース」と呼ばれた元阪神の名選手、掛布雅之(65)。3度の本塁打王獲得、バックスクリーン3連発といった伝説の数々は、現役引退から30年以上たち、野球解説者として活躍する今もなお、ファンの脳裏に刻まれている。不断の努力に裏打ちされた激動のプロ野球人生を、写真で振り返る。(敬称略)

バッティング

手に唾をつけ、よくなじませる。打席に立つ前から「ルーチン」があった(1985年3月)

右足を大きく上げ、タメをつくる構え(1985年3月)

微妙な感覚を重視して手袋はつけず、素手でバットを握った(1987年4月)

一塁側に体を傾けるような姿勢で振り抜く(1985年10月)

守備・走塁

キャンプでノックを受ける(1979年、高知・安芸で)

軽やかな身のこなしで送球(1985年8月)

果敢な走塁でホームを陥れる(1985年10月、西武との日本シリーズ第5戦で。捕手・伊東勤)

バックスクリーン3連発
バース 掛布 岡田
1985年4月17日

7回裏2死1、2塁、3番バースが逆転3ラン。投手は巨人の豪腕・槙原寛己

4番掛布が追い打ちアーチ

5番岡田も続き、3発を浴びた槙原が打球を見上げる。猛打の伝説、ここに誕生

1955年生まれ、千葉県出身。74年に千葉・習志野高から ドラフト6位で阪神に入団。本塁打王に79、82、84年の 3度輝き、82年は打点王との2冠をマークした。不動の「4 番・サード」として85年はセ・リーグ優勝、日本一に貢献。 けがもあり、88年に33歳の若さで現役引退した。プロで1 5年間つけた背番号は「31」。通算成績は1625試合出 場、打率2割9分2厘、1019打点、349本塁打、165 6安打。

ルーキーシーズンだった1974年、開幕一軍入りを果たした。6月の広島戦で

選手寮「虎風荘」で笑顔をみせる(1973年12月)

高知・安芸市営球場で。3年目に3割打者となり、スター街道を歩みだした。その翌年に向けた打撃練習

シーズンオフ、ゴルフでナイスショット(1978年1月)

阪神で出会った恩師たち。(左上から時計回り、肩書は撮影当時)山内一弘コーチと吉田義男監督、金田正泰監督、遠井吾郎コーチ、中西太コーチ(左下端はブレイザー監督)

4番打者の先輩・田淵幸一(右)、後藤次男監督(中央)と並んで、阪神のキャンプ地でポーズ

1978年のオフ、婚約を発表した。右は安紀子夫人

巨人戦で本塁打を放ち、一塁手・王貞治の傍らを駆け抜ける(1979年5月・後楽園球場)

1979年、初のホームラン王に輝いた。12月の記念パーティーで花束を手に、翌年の阪神入りが決まっていた岡田彰布と握手

1978年のオールスター戦で3打席連続ホームランを達成(後楽園球場で)

1981年のオールスター戦で最優秀選手に選ばれ、副賞の車の前で笑顔

同時代を彩った他球団の強打者たちとオールスター戦で談笑。上段は右から王貞治、ギャレット、山本浩二。下段は右から掛布、原辰徳、落合博満、山本浩二

1985年、西武との日本シリーズで先制3ランを放ち、1塁ベースを回る

1985年12月、阪神を日本一に導いたシーズン後の契約更改を終え、待ち受けるファンやカメラマンに囲まれた

巨人のエース江川卓は同学年のライバル。名勝負を重ね、たびたび痛烈なホームランを浴びせた(1985年6月)

一足先にユニホームを脱いだ江川の引退式では、最後の一投の相手打者を務め、握手を交わした(1988年3月・東京ドームで)

中日・斉藤学の投球が死球となり、手を骨折した(1988年4月)

引退試合で胴上げされた(1988年10月)

引退後

甲子園球場のネット裏で、プロ野球のテレビ解説者を務める(2003年9月)

大阪が生んだボクシングの世界チャンピオン・辰吉丈一郎を握手で祝福(1991年10月)

大阪の神社で、福男としてファンと交流(2004年1月)

少年野球を熱心に指導(2005年、淡路島で)

2016、17年は阪神の二軍監督を務めた(2016年6月)

サイン色紙には「憧球」と書き添える。掛布は今も、野球に惹かれ続けている

【撮影】読売新聞写真部、報知新聞写真部
【編集】読売新聞配信部
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