東日本大震災から10年 

復興の道 あの子と駆ける

読売新聞オンライン
制作・著作 読売新聞

 東京五輪まであと1か月余り。東日本大震災から10年の節目に福島県を出発した聖火リレーは16~21日、岩手、宮城両県に入り、沿岸の被災地を回った。亡くなった我が子への思い、失われた古里への追憶、支えてくれた人たちへの感謝、それぞれの思いを込めて灯はつながれる。新型コロナウイルスの影に「復興五輪」の理念はかすみがちだが、それでも沿道からは拍手が響き、復興のシンボルとなった列車に向かって何本もの大漁旗がはためいた。(写真部聖火リレー取材班)=2021年6月24日公開

東京電力福島第一原発事故で全村避難した飯舘村を通った聖火リレー。除染後も作付けが行われていない水田の間を走るコースでは、村に戻ったり、一時的に帰ってきたりした村民たちがランナーを静かに応援していた(3月26日、福島県飯舘村で)=早坂洋祐撮影

甚大な被害を乗り越え、復興の象徴となった三陸鉄道によって運ばれる聖火。警笛を鳴らす車両がトンネルを抜け、大沢橋梁にさしかかると、集まった多くの住民らが大漁旗を振って歓迎した(6月16日、岩手県普代村で)=冨田大介撮影

復興支援への感謝の気持ちを込めて「ありがとう」のタオルを掲げる住民たち。津波に襲われ、更地が広がっていた街には、人々が暮らす災害公営住宅が建ち、鉄道駅や商店街が再建された(6月17日、岩手県山田町で)=武藤要撮影

震災後に造られた巨大な防潮堤沿いを進む聖火ランナー(6月17日、岩手県大槌町で)=冨田大介撮影

「奇跡の一本松」を出発した陸前高田市の聖火リレー。巨大な防潮堤に向かって進むトーチの火が薄暮に揺れた(6月17日、岩手県陸前高田市で)=冨田大介撮影

災害公営住宅のベランダから聖火リレーの出発式を見守る住人ら(6月19日、宮城県気仙沼市で)=大原一郎撮影

気仙沼でスタートした宮城県の聖火リレー。奥は災害公営住宅(6月19日、宮城県気仙沼市で)=関口寛人撮影

災害公営住宅の敷地に建てられた「津波記憶石」の前を通る聖火ランナー(6月19日、宮城県気仙沼市で)=大原一郎撮影

宮城県でスタートした聖火リレー。気仙沼港では、停泊している漁船から聖火ランナーを見つめる人たちの姿も(6月19日、宮城県気仙沼市で)=関口寛人撮影

漁船から聖火リレーを見つめる人たち(6月19日、宮城県気仙沼市で)=武藤要撮影

石巻市では「石巻川開き祭り」で「孫兵衛船競漕」として早さが競われる「孫兵衛船」で聖火が運ばれた。ランナーが乗り込むと、こぎ手たちは息を合わせ対岸に船を進め聖火をつないだ(6月19日、宮城県気石巻市で)=大原一郎撮影

石巻市の第1走者を務めた鈴木典行さん(56)は、市立大川小で津波の犠牲となった次女の真衣さん(当時12歳)の名札をポケットに忍ばせ、聖火をつないだ。リレーを終えると校舎を訪れ、「今見せに来たよ」とトーチを掲げた。「真衣と一緒に走ってきたので、満足してくれているんじゃないかな」と話した(6月19日、宮城県石巻市で)=関口寛人撮影

東日本大震災の津波で長男の健太さん(当時25歳)を失った田村孝之さん(60)。集合場所に向かうバスに勢いよく乗り込んだ(6月19日、宮城県女川町で)=冨田大介撮影

「健太、行くぞ」。亡き息子に話しかけて走り出した田村孝之さん。「息子と一緒に聖火リレーを走る」という願いを叶えた(6月19日、宮城県女川町で)=冨田大介撮影

健太さんの写真を手に、雨の中、夫の姿を見守る妻の弘美さん(6月19日、宮城県女川町で)=冨田大介撮影

女川を走るランナーに向かって掲げられた「鎮魂」や「復興」の文字(6月19日、宮城県女川町で)=冨田大介撮影

女川駅前のシーパルピア女川でトーチキスをするランナー(6月19日、宮城県女川町で)=冨田大介撮影

【撮影】読売新聞写真部【制作】読売新聞配信部
  読売新聞オンライン
Copyright (C) The Yomiuri Shimbun.
今回取り上げた写真の一部は、「よみうり報知写真館」で購入できます