ICHIRO

イチ流 極めた野球人生

 
読売新聞オンライン
制作・著作 読売新聞

日本プロ野球と米大リーグでプレーし、今季で通算28年目のシーズンを迎えていたマリナーズのイチロー(本名・鈴木一朗)が現役引退を表明した。高校時代からの名場面を写真で振り返る

第63回選抜高校野球大会1回戦、松商学園-愛工大名電。松商学園を3点に抑えたが惜しくも敗れた愛工大名電の鈴木一朗投手(1991年3月29日、阪神甲子園球場で)

9回、鈴木(背番号1)が一塁ゴロに倒れゲームセット、天を仰ぐ(1991年3月29日、阪神甲子園球場で)

整列する愛工大名電ナイン(右端は鈴木投手)(1991年3月29日、阪神甲子園球場で)

1992年、愛工大名電高からドラフト4位でオリックスに入団。「バットコントロールは文句なかった。体さえできれば十分通用する」「4、5年でレギュラーを争う素材」。プロのスカウトは、打者としての素質を見抜いていた

オリックス時代の「振り子打法」

プロ野球史上初のシーズン200安打達成。記念のプレートを手にファンに応える。「本当にうれしい。ホッとした」(1994年9月20日、グリーンスタジアム神戸で)

1995年、パ・リーグMVPのイチローと新人王の平井正史投手(グリーンスタジアム神戸で)

1996年、日本シリーズで初優勝を飾り祝勝会で樽(たる)に入る(グリーンスタジアム神戸で)

1999年、史上最速の1000安打達成(4月20日、東京ドームで)。「ああいう、集中しにくい場面で集中できたことは評価したい」。珍しく自分のバッティングを褒めた。2000年には、7年連続の首位打者に。そしてメジャー挑戦を発表

3年15億円――。マリナーズは日本人最高打者にふさわしい破格の待遇でイチローを迎え入れた

2001年4月2日、セーフコフィールドでのメジャーデビュー戦で初安打。「一生忘れることのできない日になった。今までの喜びと質が全然違う」

2004年10月1日、シアトル・マリナーズのイチローは対レンジャーズ戦、3回にジョージ・シスラーが1920年に作ったシーズン最多安打を更新、チームメートの祝福を受けた(シアトルで)=今利幸撮影

2004年、シーズン最多安打の大リーグ記録を84年ぶりに更新。ヒットの原動力は「野球が好きということ」。この年、262安打を放った

2006年、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で優勝し、王監督(左)と手を取り合って喜ぶイチロー

2009年、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝の対韓国戦10回、イチローが勝ち越し2点打を放つ

2009年、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)決勝の対韓国戦10回、決勝打を放ち1塁へ走るイチロー

「競争の世界に生きている者として、僕はナンバーワンになりたい」。 2009年、日米通算3086安打をマークして張本勲氏(右)が持つ日本プロ野球記録を更新(4月16日、セーフコフィールドで)。「頂に上がったときの景色は、すごく晴れやかな、いい景色でした」

2015年、大リーグのマーリンズと1年契約。「選手として必要としてもらえることが何よりも大切で、大きな原動力になる」

2015年、打率は2割2分9厘と低迷したが、控え外野手として153試合に出場。「自分の数字は目を疑うものだったが、できたことはたくさんある」。チーム最終戦では、投手としてメジャー初登板した

2016年、日米通算4257安打をマーク(6月15日、ペトコパークで)。ピート・ローズ氏の持つ大リーグ歴代最多記録を超えた。後日、マーリンズパークでのセレモニーで、記録超えを達成した二塁打で踏んだサンディエゴの球場のセカンドベースを受け取った

2016年、ロッキーズ戦で右翼越えの三塁打を放ち、大リーグ通算3000安打を達成(2016年8月7日、米コロラド州デンバーで)。3000安打は、大リーグ史上30人目の快挙だ。

最後の打席となった8回、内野ゴロで1塁へ駆け込むイチロー=(3月21日、東京ドームで)=片岡航希撮影

試合終了後も球場に残ったファンに応えるイチロー(3月21日午後11時26分、東京ドームで)=大原一郎撮影

引退を発表する記者会見で報道の多さに驚くイチロー選手(3月21日午後11時56分、東京都文京区で)=池谷美帆撮影

現役引退を発表する記者会見に臨むイチロー(3月21日午前0時、東京都文京区で)=池谷美帆撮

現役引退を表明した記者会見を終え、深々と頭を下げるイチロー選手(3月22日午前1時20分、東京都文京区で)=池谷美帆撮影

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