揺れながら、撮り続ける

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制作・著作 読売新聞

読売新聞写真部では、
まず九州・福岡市の西部本社から
カメラマンを現地に出し、
大阪、東京の両本社からも深夜、未明に
応援取材者が駆けつけた。

日付が変わった15日午前0時半、西部本社・浦上太介が福岡市内から車で2時間半かけて熊本県益城町に到着。役場前で身を寄せ合う被災者の姿を朝刊用に送信する。

東京本社・関口寛人は、深夜の北九州空港から陸路で、15日午前4時に益城町着。夜が明けて、災害出動の自衛隊からおにぎりを受け取る親子連れを取材開始。

15日午後7時過ぎ、大阪本社から応援取材に駆けつけた長沖真未が、車内で不安な夜を過ごす親子連れを取材。

15日夜、ほぼ徹夜明けの浦上、長沖、関口が
ようやくホテルで仮眠するが、16日午前1時25分ごろ、
また震度7の「本震」に叩き起こされる。

暗闇の中、階段を駆け下りた関口と長沖は、
安否確認のため同僚の名前を呼び続けた。

大阪本社・浜井孝幸は、「本震」後の16日午後1時過ぎ、航空取材の応援で熊本・南阿蘇の土砂崩れ現場を空撮。騒音で救助ヘリの作業を妨げないように、読売ヘリはさらに高い高度を保つ。

浦上は益城町で取材を続け、民家で崩れ落ちた屋根瓦の修復作業を、自らも屋根に登り取材。

16日午後、浜井は、ヘリで南阿蘇から益城町上空に移動し、「本震」後に増えた被災者の車の数に驚いた。

震度7の揺れで、ホテルの机上に置いたパソコンとカメラが床に転げ落ちた関口。普段、弱音を吐かない関口が、写真部デスクに「食料がありません」と小声で電話してきた。

「本震」の日に赤ちゃんが生まれたご夫婦と知り合った関口が、ほのぼのとした親子写真を撮影。

14日夜の震度7の地震後、16日未明の
「本震」に襲われた熊本。

その後も余震は
広範囲な震源で断続的に続き、
震度1以上の地震は
5月13日までに1400回を超えた。

東日本大震災を取材したカメラマンにとっても、
未体験の地震取材となった。

18日、朝を益城町で迎えた浦上が、避難所取材を続けていた。自身の体力も限界だったが、ファインダー越しに「頑張れ」とつぶやきながら。

18日夕方、災害支援の自衛隊員が集まった南阿蘇村の空を夕焼けが染める。長沖は、自衛隊員の懸命な捜索活動を取材した。

18日夜、関口は、駐車場でテント生活を送る被災者を取材。断続的な揺れで自宅に戻れない被災者らの車中泊やテント暮らしが続いていた。

地震発生から6日目、関口が、車の上で洗濯物を乾かす被災者らの姿を撮影。

5月5日、活動を再開したくまモンが、避難所を慰問しました。被災者の方々に戻りつつある笑顔で、カメラマンも元気を取り戻し、熊本地震を継続的に取材していきます。

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