第1章

公式確認60年 水俣病とは・・・

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制作・著作 読売新聞東京本社・西部本社 熊本県民テレビ

水俣市は熊本県の南端、鹿児島県との境にあり、西は八代海(不知火海)に面している。

水俣湾の小さな入り江に面した集落。この集落に住む5歳と2歳の幼い姉妹ら が60年前、原因不明の病気を発症し、保健所に届けられた。(2015年12月、 水俣市月浦)

公式確認のきっかけとなった姉妹の妹、田中実子さんは家族らの介護を受け、今も自宅で暮らしている。

公式確認のきっかけとなった田中実子さんと家族。2015年9月と12月、水俣市の自宅にて。

田中実子さんの介護を続ける家族。2015年12月、下田綾子さんへのインタビュー。

水俣病は化学メーカー・チッソの工場排水に含まれていたメチル水銀が 海に流れて魚介類に蓄積、濃縮され、それを食べた人が発症した。写真は1973年の百間排水口。68年までメチル水銀が流されていた。

「環境汚染」と「食物連鎖」によって
引き起こされた世界に類を見ない公害

水俣病は、体内に入ったメチル水銀が脳を損傷し、視力、聴力、触覚などに異常が出る。言語障害、運動障害、視野が狭くなるなどの症状があり、死に至ることもある。

メチル水銀は母親の胎盤を通って、おなかの中の胎児を傷つけた。水俣では脳神経を傷つけられ、脳性小児まひに似た症状を持つ子供が多く生まれた。

「胎児性患者」の上村智子さん(1977年に21歳で死去)は家族から「宝子(たからご)」と慈しまれた。母親の胎内で水銀を引き受け、母親や妹、弟を守ったと家族は言う。ユージン・スミスら写真家が撮影した智子さんの姿が世界に水俣病を伝えた。写真は1968年の智子さんと母、良子さん。

胎児性患者の存在を発表した原田正純医師(故人)は患者に寄り添い続け、「環境を汚すことは子宮を汚すこと、未来の命を危機にさらすことになる」と警告した。

胎児性患者を確認した医師。1996年、故・原田正純医師へのインタビュー

胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんが、スウェーデン・ストックホルムの「国連人間環境会議」に合わせて開かれたNGOの集会で公害の恐ろしさを訴えた。こうした取り組みも世界の人々に水俣病を伝えることにつながった。(1972年6月6日付 読売新聞夕刊)

2015年7月、母親の胎内でメチル水銀の被害を受けた胎児性患者・坂本しのぶさんへのインタビュー。

被害は水俣湾周辺から八代海(不知火海)一帯に広がった。チッソや行政は被害拡大を防止できなかった。

行政の審査で認定されなければ患者と認められない。しかし、一定の症状がある人の救済も行われ、水俣病は「認定患者」と「被害者」に区別されている。写真は2015年12月に開かれた熊本県の水俣病認定審査会。

水俣病を引き起こしたチッソは、電力会社をもとに創業された(創業当時の社名は日本窒素肥料)。当時の日本の先端化学工業を担い、水俣は「チッソ城下町」として発展した。

チッソは戦前からプラスチックの製造に利用するアセトアルデヒドを作っていた。その工程で水銀が有機化し、水俣病の原因となった。

2011年に子会社としてJNCをつくり中核事業を移管した。チッソは持ち株会社として存続している。

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