第4章

水俣病は終わっていない~苦悩は今も~

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制作・著作 読売新聞東京本社・西部本社 熊本県民テレビ

2012年7月、国が最終解決策とする水俣病被害者救済法(特措法)による救済事業の申請が締め切られた。居住地域や年齢で線引きされ、対象外の被害者が残る。

水俣病被害者救済法(特措法)の対象地域による線引きに疑問を投げかける被害者。2015年8月、天草市倉岳町で。

あくまでも水俣病患者としての認定を求める男性に棄却の通知が届いた。最高裁で患者認定を巡る新たな判断が示されても行政の対応は変わらず、棄却が続く。写真は2015年9月、棄却通知を受けて記者会見する大戸迫智さん。

患者認定を申請していた弟に棄却通知が届く。2015年9月、棄却理由に疑問の声をあげる姉、坂本みゆきさんへのインタビュー。

胎児性患者と同世代の人たちが、患者と認めてほしいと裁判を起こしている。海辺で生まれ育った原告たちは子どもの頃から体の不調に悩まされてきたが、水俣病がどんな症状か知らずに育ったという。写真は2015年10月15日、提訴後に記者会見する原告ら。

患者認定を求めて訴訟を起こした原告。2015年11月、倉本ユキ海さんへのインタビュー。

認定基準をめぐって国の公害健康被害補償不服審査会と環境省の考え方が異なるとして、熊本県が認定審査会を休止していたが、2015年7月、2年4か月ぶりに再開した。写真は再開後の15年12月の認定審査会。

熊本県の蒲島郁夫知事は、休止していた認定審査会を再開したことについて、認定基準に対する考え方が統一されたためとしている。しかし再開後、2016年2月末までに65人が棄却され、認定されたのは2人のみ。審査を待つ人はなお1243人に上る。写真は2015年7月8日撮影。

胎児性患者と同世代の男女が、水俣病と認めてほしいと起こした訴訟の原告団長・佐藤英樹さん。認定申請に対して棄却が通知された。

熊本県知事の通知には「症状があることは認めるが、水銀とは因果関係が認められない」と書かれていた。佐藤さんの父母と祖母は患者に認定されており、同じ家族でも行政の判断は分かれている。

患者認定の申請から10年以上経過しようやく届いた結果は棄却。2015年12月、佐藤英樹さんへのインタビュー。

水俣病被害者救済法(特措法)で、救済対象外とされた人たちが国、熊本県、チッソに慰謝料を求めて次々と提訴。原告は1000人を超えている。写真は2015年4月30日、熊本地裁前で。

いまなお課題が多く残され、終わりの見えない状況がつづく。

チッソの排水口から海に排出され堆積したメチル水銀を含むヘドロが掘り返され、そのヘドロで水俣湾の一部が埋め立てられた。1977年に始まったヘドロの除去と埋め立て工事は1990年まで続いた。

広大な公園となった水俣湾埋め立て地。この地中には高濃度の水銀ヘドロが埋められている

水俣湾に埋め立てられた水銀ヘドロの対策を訴える専門家。2013年10月、中地重晴・熊本学園大学教授へのインタビュー。

水俣湾埋め立て地に建てられた「水俣病慰霊の碑」。碑には亡くなった患者の名簿が納められているが、名前の記載を希望しない遺族も多い。

患者や遺族、患者家族はいまだに差別を恐れ、親族の間でも水俣病について語らず、他県に住む人の中には、「水俣出身」と言えない人もいるという。差別は今も残る。(2010年7月15日付 読売新聞夕刊)

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