第5章

未来へ伝えるミナマタ

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制作・著作 読売新聞東京本社・西部本社 熊本県民テレビ

1994年5月、当時の吉井正澄水俣市長が「水俣病犠牲者慰霊式」で地元市長として初めて公式の場で謝罪。吉井元市長は「もやい直し」を提唱した。

「もやい直し」とは船の綱をくくり直すこと。水俣病で傷ついた地域の人々の心を結び直すキーワードとなり、音楽祭などが開かれている。写真は2016年1月31日のもやい音楽祭。

公式の場で謝罪した元市長・吉井正澄さんへのインタビュー。(2015年4月)

患者や家族が「語り部」として体験を語る。水俣を訪れた多くの人がその言葉に耳を傾ける。写真は2016年2月13日、水俣市立水俣病資料館で話す語り部の前田恵美子さん。

「語り部」を務めた杉本栄子さん(故人)は「水俣病はのさり(天からの授かりもの)」と語り、患者として獲得した哲学を語り続けた。写真は2006年9月、広島県福山市で。

胎児性・小児性患者が通う福祉施設「ほっとはうす」では、患者自らが水俣病を伝えるプログラムを実施している。児童・生徒・学生のほかに社会人も多く訪れ、学んでいる。写真は2016年3月1日。

胎児性・小児性患者が集う福祉施設「ほっとはうす」の施設長・加藤タケ子さんへのインタビュー。(2015年11月)

熊本県では県内の小学5年生全員が水俣に行き、「水俣に学ぶ肥後っ子教室」を受講する。水俣病を正しく理解し、環境への取り組みを学ぶ。写真は2015年の肥後っ子教室。水俣市立水俣病資料館提供

熊本学園大学の教授だった原田正純医師(故人)は、水俣病事件を医学だけでなく、経済学や哲学、社会学など様々な分野から研究し、問題の本質を深く掘り下げようと提唱した。「水俣学」が開講し、原田氏は「水俣病は社会を映しだす鏡だ」という言葉を残した。写真は2002年10月。

熊本学園大学は、「水俣学」のセミナーや講義、研究会を、学生だけでなく研究者や一般の人にも公開している。写真は2016年1月14日、熊本学園大学で水俣学の講義をする花田昌宣教授。

作家の石牟礼道子さんは「苦海浄土」で水俣に生きる人々の精神の豊かさ、自然の恵みを描き、文学を通して水俣病を世界中に知らしめた。その後も水俣病患者との交流を続け、創作活動や講演を通して水俣病の悲劇を伝えている。写真は1970年と2013年の石牟礼さん。

水俣病を体験した町として、水俣市は「環境モデル都市」をめざしている。

水俣市では徹底したごみの分別が行われている。収集日には市民がごみを仕分ける姿が見られる。写真は2016年1月。

回収した廃油を使って石けんを作る事業も行われている。行政と民間が様々な環境行政・事業に取り組んでいる。写真は2016年2月、水俣市の「エコネットみなまた」で。

水俣湾では、熊本県が魚介類の水銀値の調査を行っている。調査したすべての魚の平均値が公表されている。熊本県の発表では、国が定めた魚介類の水銀の暫定規制値(総水銀量0.4ppm超でかつメチル水銀量0.3ppm超)を下回っている。写真は2015年7月。

世界約140の国と地域から大臣や政府関係者が出席し、水俣市と熊本市で2013年10月、「水銀に関する水俣条約外交会議」が開かれた。水銀による健康被害や環境汚染をなくそうと、世界規模で水銀を規制する条約が採択された。

2013年10月、水俣病の教訓を生かそうと名付けられた「水俣条約」採択。日本は2016年2月に締結を閣議決定した。条約の発効には50か国の締結が必要で、発効すれば、水銀製品の製造や輸出入が20年までに原則禁止となる。

水銀汚染の経験を世界の健康被害や環境汚染にどう生かしていくのか、世界が水俣を注目している。

2013年10月、天皇、皇后両陛下が水俣を訪問された。「水俣病慰霊の碑」に花を供え、語り部や胎児性水俣病患者とも言葉を交わされた。

語り部の緒方正実さんが作った「こけし」。水俣湾埋め立て地にある「実生(みしょう)の森」の木で作られ、人間だけでなく、水俣病の犠牲となったすべての生類への祈りが込められている。天皇陛下も持ち帰られた。写真は2016年3月、水俣市の「ほっとはうす」で。

祈りのこけしを製作し、語り部として水俣病を伝え続ける患者。2015年3月、緒方正実さんへのインタビュー。

「水俣を忘れてほしくない」と訴える胎児性患者。2015年7月、坂本しのぶさんへのインタビュー。

2016年1月、胎児性・小児性患者が集う「ほっとはうす」で還暦を祝う集いが開かれた。60歳を迎え、晴れ着に身を包んだ胎児性患者は「経験を次世代に伝えていきたい」と語った。

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