文化勲章受章

長嶋茂雄さんの軌跡(前編)

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制作・著作 読売新聞

政府は26日、2021年度の文化勲章をプロ野球・読売巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄氏(85)ら9人に贈ると発表した。野球界からの文化勲章受章は初めてで、「プロ野球史上に偉大な功績を残し、野球界の普及発展に尽力するなど、スポーツ振興に果たした功績は誠に顕著だ」とした。この前編では、「ミスター・プロ野球」長嶋さんの巨人入団から栄光のV9を経て、現役引退、その後の1度目の巨人監督時代までの足跡をたどります(2021年10月26日公開)
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巨人軍のユニフォームを着て入団を発表する立教大学の長嶋茂雄選手(1957年12月7日)

明石キャンプ入りのため明石駅に到着し、ファンに囲まれる(1958年2月16日)

明石キャンプで、柔軟体操をする新入団の長嶋選手(中央)ら(1958年2月、兵庫県明石市の明石球場で)

明石キャンプで、打撃練習に臨む(1958年2月、明石球場で)

デビュー戦で、長嶋選手は国鉄の金田正一投手(右)に4打席4三振に仕留められた(1958年4月5日、後楽園球場で)

1958年6月22日、大洋戦で3本のホームランを放った長嶋選手。この年、新人ながら29本塁打92打点で本塁打王、打点王の二冠に輝いた(川崎球場で)

1958年10月8日、巨人軍がセ・リーグ優勝を決め、トロフィーを引いて場内一周する(左から)川上哲治選手、水原茂監督、長嶋選手(後楽園球場で)

1959年6月25日、後楽園球場で行われた巨人対阪神戦はプロ野球初の天覧試合となった。ロイヤルボックスから観客や選手に帽子を振られる昭和天皇

1959年6月25日、天覧試合となった阪神戦は、4対4の同点で迎えた9回裏、長嶋選手がサヨナラ本塁打を放ち劇的な幕切れとなった(後楽園球場で)

宮崎キャンプで王貞治選手(左)と。2人はONと呼ばれ、一時代を築いた(1962年2月)

日本シリーズで南海を相手に優勝し、胴上げされる。その後、この優勝から始まる9年連続日本一という偉業が成し遂げられた(1965年11月5日、後楽園球場で)

1966年4月、大洋戦で本塁打を放つ長嶋選手。この年は5度目の首位打者に輝いた

宮崎キャンプで、守備の猛特訓を受ける(1969年2月)

1970年11月2日、ロッテとの日本シリーズで最優秀選手に選ばれ、賞品の自動車に腰掛け、笑顔を見せる(東京球場で)

1971年5月25日、ヤクルト戦で2000本目の安打を放ち、一塁ベース上で両手を上げて歓声にこたえる(神宮球場で)

1971年10月17日、阪急との日本シリーズを制し、チャンピオンフラッグを持ち場内を一周する(手前左から)柴田勲、長嶋、森昌彦各選手(後楽園球場で)

1972年7月6日、阪神戦の7回、投前フライを懸命に追い、王選手(右)と衝突しながら捕球(札幌市円山球場で)

1972年10月、日本シリーズ前の練習で

1973年11月1日、日本シリーズで9連覇を成し遂げ、川上監督(右)に続き、場内を一周する(後楽園球場で)

1974年7月15日、阪神戦で8号ホームランを放つ(後楽園球場で)

1974年10月9日、引退間際も守備で素早い動きを見せる(後楽園球場で)

1974年10月14日、「我が巨人軍は永久に不滅です」の名セリフを残し、17年間の現役生活を終えた長嶋選手(後楽園球場で)

花束をかかげ大勢の観客にあいさつする

巨人軍の監督に就任、川上前監督(左)と握手して大きな任務を引き継ぐ(1974年11月)

巨人軍合同自主トレで練習する張本勲選手、王選手を見つめる長嶋監督(多摩川グラウンドで、1976年1月)

1976年10月16日、セリーグ優勝を決め、胴上げされる長嶋監督(広島市民球場で)

1976年10月16日、セリーグ優勝を決め、インタビューを受ける長嶋監督(広島市民球場で)

新入団選手と記念撮影(1976年12月20日、東京・大手町の読売新聞社で)

1977年9月3日、王選手(左)が大リーグ記録を抜く756号本塁打を達成。監督として本塁で迎える(後楽園球場で)

1977年9月23日、2位のヤクルトが広島に敗れたため、巨人の2年連続セ・リーグ優勝が決まり、胴上げされる(後楽園球場で)

ペナントを受け、選手たちと記念撮影に臨む長嶋監督

1980年10月21日、記者会見で辞任を発表する長嶋監督

【撮影】読売新聞写真部
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