【戦後75年】

小笠原 沈んだ戦禍

川口正峰撮影 
読売新聞オンライン
制作・著作 読売新聞
 本州から約1000キロ離れた小笠原諸島・父島周辺の海底 では、第2次大戦中に米軍の攻撃を受けた軍艦や民間から徴用 された船が横たわる。残骸となった船の多くは、沈没の経緯や 船名すらはっきりしない。今年は終戦から75年。歴史の中に 埋もれたこうした船を調査する取り組みが続いている。父島に 近い無人島・兄島の滝之浦湾で、ダイバーの調査に同行した。  小笠原諸島周辺の「沈船」は100隻を超えている。同湾で 確認されている沈船のうち5隻を地元ダイバーは「深沈」「中 沈」などと便宜的に呼んできた。 (2019年11月22日から2020年7月15日に撮影)

船体が横倒しで沈む「中沈」ポイント。船首が崩れず魚が集まる魚礁になっている(兄島の滝之浦湾で)

「中沈」ポイントで

「中沈」ポイントで

「中沈」ポイントに倒れたマストの先にはテーブルサンゴがあった

「中沈」ポイントで

深さ45メートルの海底に「深沈」と呼ばれる船が沈んでいた。ダイバーたちは船体を計測し、ボイラーやマストの特徴、当時の記録や資料を手がかりに民間から徴用された船の調査を続けている(兄島・滝之浦湾で)

崩れた貨物室と思われる場所には砲弾などの積載物が確認された。ダイビングショップ「フィッシュアイ」の笠井信利さんが約35年前に初めて潜った際には船体が崩れておらず砲弾や銃弾、ヘルメット、セメント袋もあったという(兄島・滝之浦湾で)

 調査にあたる父島のダイビングショップ代表の笠井信利さん (64)は、約35年前に初めて同湾に潜った。5隻のうち4 隻には積載物はなく、水深が45メートルと一番深い「深沈」 には砲弾など大量の積み荷が貨物室とみられる場所にそのまま 残されていたという。  笠井さんは、父島でダイビングのインストラクターをしてい ながら、海底に沈む船についてしっかり説明できないでいるこ とをもどかしく感じていたという。地元で呼ばれる通称しか知 らず、そこで亡くなったはずの船員やその遺族にも申し訳ない 気持ちを抱えていた。

調査に向かうダイバーに沈船の特徴などをホワイトボードを使って説明する笠井さん(兄島・滝之浦湾で)

兄島・滝之浦湾の沈船マップ。同湾に6隻の沈船が見つかっている(兄島の滝之浦湾で)

今も船名など詳細が明らかになっていない沈船が眠る小笠原諸島・兄島の滝之浦湾(手前、奥は父島)=読売機から

兄島の滝之浦湾に沈む1等輸送艦2号(読売機から)

滝之浦湾の浅瀬に沈む1等輸送艦2号(兄島の滝之浦湾で)

「バラ沈」ポイントに沈む船首(兄島の滝之浦湾で)

「バラ沈」ポイントに沈む船体の一部(兄島の滝之浦湾で)

「横沈」ポイントに沈む横倒しになったマスト(兄島の滝之浦湾で)

「横沈」ポイントにある船の中央部分に2本の倒れたマストが横たわる(兄島の滝之浦湾で)

「横沈」ポイントにある船の中央部分に2本の倒れたマストが横たわる(兄島の滝之浦湾で)

 調査は昨年11月に始まった。各地から集まった15人ほど のダイバーが兄島、父島の沈船などの12地点で潜った。12 月には、笠井さんの店のダイバーが船体の計測や写真撮影など を手がけた。その後、調査結果と残されている資料などをもと に、船を割り出す作業に取り組んできた。  笠井さんは、「『深沈』は、1944年7月に沈没した徴用 船の『志摩丸』の可能性がある。調査はまだ推定段階なので、 今回の調査報告を機に当時の情報が集まれば」と期待する。 (写真と文 川口正峰)

父島周辺の沈船マップ

多くの沈船が眠る父島(手前は二見港)=読売機から

サンゴがついた1等輸送艦4号の砲身(父島沖で)

海底に眠る「零式艦上戦闘機(ゼロ戦)」のプロペラと翼(父島沖で)

海底に眠る「零式艦上戦闘機(ゼロ戦)」のプロペラと翼(父島沖で)

エビ丸の船首(父島沖で)

エビ丸では多くの魚やエビを見ることができる(父島沖で)

父島の浅瀬に沈む浜工丸(読売機から)

父島の浅瀬に沈む浜工丸(読売機から)

父島のビーチから素潜りで見ることができる浜工丸は観光名所となっている

「戦没した船と海員の資料館」(神戸市中央区)では第2次大戦で沈められた徴用船の写真を展示する。軍艦と違い、詳しい記録は残っておらず、その特定作業は難しい。同館の大井田孝さん(78)は「小笠原はサイパンなど南方戦線への重要な補給地だった。沈船の記録を掘り起こし、語り継いでいくことはとても重要」と話す。同館は新型コロナウイルスの影響で、現在は一時的に公開を見合わせている

【撮影】読売新聞東京本社写真部・川口正峰
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