小笠原諸島返還50年

 
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制作・著作 読売新聞

透き通った水中に集まる日本固有の魚「ユウゼン」、島を飛び回る小笠原固有種の小鳥「メグロ」――。返還50年を迎えた小笠原諸島(東京都小笠原村)は、一度も大陸とつながったことがない独自の生態系を育み、今も豊かな自然に囲まれる。

 島は戦前、捕鯨基地として栄え、戦時中は南方戦線への輸送拠点に。強制疎開で小笠原を離れた島民たちは米軍占領時代を経て島に戻ってきた。今も島のあちこちで戦争の遺産が残り、祭りなど独自の伝統芸能も受け継がれる。人口は少し増えてきた。現在の姿を写真で伝える。
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返還から50年の小笠原諸島の父島(6月4日、父島で)=米山要撮影

定期船「おがさわら丸」に24時間揺られ父島・二見桟橋に到着した大勢の人たち。宿泊施設の出迎えを受け、これから思い思いの時間を過ごしていく(6月8日、父島で)=大石健登撮影

集落や森の中で観察することができる母島の固有種メグロ(6月4日、母島で)=大石健登撮影

天然記念物のアカガシラカラスバト(6月8日、父島で)=米山要撮影

雌に求愛する北米原産で外来種のトカゲ「グリーンアノール」。貴重な生態系を脅かしており、駆除が進められている(6月4日、母島で)ー大石健登撮影

母島に多く分布しているガジュマル。滝のように垂れ下がった「気根」から新たな若葉が伸びていた(6月3日、母島で)=大石健登撮影

エサのトビウオを見つけて海に飛び込んだカツオドリ(6月4日、母島沖で)=大石健登撮影

群れで泳ぐ日本固有種のユウゼン(下)。小笠原諸島や八丈島など限られた海域にしか生息しておらず、サンゴ礁が美しい海中では数百ものセダカハナアイゴ(上)と共に回遊し、ダイバーたちを楽しませていた(6月7日、父島沖で)=大石健登撮影

ボニンブルーと称される濃い青の海で悠々と泳ぐイソマグロ(6月7日、父島沖で)=大石健登撮影

船と並走するミナミハンドウイルカ。ブロー(潮吹き)した潮が強い日差しに反射して虹を描いた(6月7日、父島で)=大石健登撮影

弟島付近の海中につがいで生息するクマノミ。地元ダイビングショップによると黒と白のツートンカラーは小笠原ならではの色だという(6月6日、弟島沖で)=大石健登撮影

産卵のため砂浜にあがってきたアオウミガメ。漁港の電灯に照らされながらゆっくりと砂浜をはって移動し、産卵場所を探す。夜空には天の川が上り始めた(6月3日、母島で)=大石健登撮影

父島・二見港横の大村海岸に産卵のため上陸したアオウミガメ。卵を産み落とした穴に、手足を使って砂をかけていく(6月5日、父島で)=大石健登撮影

青い海に沈む浜江丸(6月6日、父島で)=米山要撮影

島北部の森の中に残る旧日本軍の高角砲(6月3日、母島で)=大石健登撮影

こけむした砲身はまるで木の幹の様相で、自然と同化していくようだった(6月3日、母島で)=大石健登撮影

父島・二見港沖の水深30メートル超に沈む特殊潜航艇「甲標的丙型」。魚雷による敵船への奇襲を目的に開発された甲標的は真珠湾攻撃にも参加した。船体下部は海底のヘドロに埋もれているが原型をとどめており、艦橋(司令塔)から延びる潜望鏡の様子が確認できた(6月7日、父島で)=大石健登撮影

父島の洲崎沖、水深約31メートルに沈む飛行機の翼部とエンジン。洲崎地区には旧日本海軍の飛行場が建設され、太平洋戦争・硫黄島の戦いでは特別攻撃などの作戦における拠点基地として役割を果たした。現在は新たな飛行場建設の候補地として、再び洲崎地区が浮上しており、周辺海域の埋め立てが進むとこの戦争遺構の遺構も消える可能性がある(6月6日、父島沖で)=大石健登撮影

父島の扇浦には空襲により撃沈された一等輸送艦が横たわっている。バラバラになった船内には当時を忍ばせる道具が残っており、周囲は小魚のすみかになっていた(6月6日、父島で)=大石健登撮影

撃沈された一等輸送艦。船体から脱落した高角砲に太陽の光が差し込んでいた(6月6日、父島で)=大石健登撮影

父島・二見港沖の水深30メートル超に沈む特殊潜航艇「甲標的丙型」。魚雷による敵船への奇襲を目的に開発された甲標的は真珠湾攻撃にも参加した。船体下部は海底のヘドロに埋もれているが原型をとどめている(6月7日、父島で)=大石健登撮影

境浦から眺める天の川。街の明かりが少ない島内では多くの星を肉眼で見ることが出来る(6月6日、父島で)=大石健登撮影

返還前に戻っていた大平京子さんは「今の小笠原は子供たちが大勢いるようになってうれしい」と話す(6月4日、父島で)=米山要撮影

返還当時から島で牧師をしている小笠原愛作さん。返還後の小笠原の成長を見続けてきた(6月10日、父島で)=米山要撮影

受け継がれてきた場所に3年前にホテルを開いた欧米系6代目の瀬堀健さん(左)と翔さん兄弟。ホテルの名は以前、家族が開いていたハンバーガー店の名前だったPATINN(パットイン)と付けた(6月3日、父島で)=米山要撮影

色とりどりの伝統衣装をまとい、島内のお祭りで南洋踊りを披露する島の子どもたち。パラオなどミクロネシア地域から戦前に伝わった踊りは島民らによって現代に受け継がれてきた(6月3日、母島で)=大石健登撮影

1968年当時の大村地区のメインストリート=小笠原ビジターセンターの展示より撮影

商店などが並ぶ現在の大村地区のメインストリート(6月8日、父島で)=米山要撮影

多くの人を乗せ東京・竹芝へ向けてを出港する貨客船おがさわら丸。地元ダイビングショップのガイドがお別れのパフォーマンスとして、そろって海中に飛び込んだ(6月5日、父島で)=大石健登撮影

ダイビング船などに見送られ、父島を出航して行くおがさわら丸(6月5日、父島で)=米山要撮影

船と並走するミナミハンドウイルカ(7日、東京都小笠原村の父島で)=大石健登撮影

【撮影】読売新聞写真部・米山要、大石健登【制作】読売新聞メディア局編集部
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