震災9年

聖火を待つ

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制作・著作 読売新聞

 「あの日」がまた巡ってきた。その9日後、宮城県の航空自衛隊松島基地に五輪の火が届く。東北の被災地の思いは様々だ。喜びと期待だけではない。ためらいや忘れ得ぬ悲しみも交錯する。それでも多くの人々は聖火が駆け抜ける時を待つ。

くじけぬ人々の証し  町の片隅で、傷だらけの建物が静かに横たわっている。震災 遺構の「旧女川交番」だ。  東日本大震災から11日で9年。津波で大きな被害を受けた 宮城県女川町では復興が進む。中心部には駅のほか、商店街 「シーパルピア女川」ができた。横倒しの交番は、「くじけ ず、困難に立ち向かった人々の町」の証しとして残された。  東京五輪の聖火は6月20日、商店街と旧女川交番の間を通 る。造成された高台に家を再建した漁師の須田信也さん(4 2)は、「多くの人に聖火リレーを通じて今の町の姿を見ても らいたい」と語った。(竹田津敦史)
にぎわい夢見て  東京電力福島第一原発事故の影響で、広範囲が避難指示の対 象となっている福島県大熊町では昨年4月、復興の拠点とする ために大川原地区の避難指示が解除された。現地では住宅建設 が続く。災害公営住宅や再生賃貸住宅には住民が次々と入居す る。五輪の聖火リレーは3月26日、真新しい家並みが立ち並 ぶその住宅地の北側を通る。  村井光さん(70)が震災前に住んでいた家は町内の帰還困 難区域にある。かつてのわが家で今暮らすことはできないが、 「大熊は自分の故郷。生きている限りはこの町で」と昨年7 月、災害公営住宅に入った。  少しずつ大熊も復興している。聖火リレーをきっかけに、町 のにぎわいが戻ってほしいと住民らは願う。(上甲鉄)

真新しい家並み=東京本社写真部 上甲鉄撮影

復興へ ここまでこぎ着けた  宮城県石巻市の旧北上川では、五輪聖火リレーの特殊区間と して「孫兵衛船」を使った演出でトーチをつなぐ。夏の石巻川 開き祭りで恒例の「孫兵衛船競漕(きょうそう)」は、こぎ手ら が小型の船に乗り込んで、同川で速さを競う。石巻消防署の小 泉大輔さん(39)は、18年前からこぎ手などとして参加し てきた。  東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた同市。あの日、勤 務中だった小泉さんは津波にのまれた。旧北上川では、家や車 が押し流されていた。よじ登った木の上で命をつないだが、消 防士としてなすすべがなかった悔しさは今も消えない。  震災後、こぎ手を辞めようと思った。助けられなかった命を 見つめた川で船をこいでいいのか。それでも祭りで川岸から響 く声援に心が晴れた。「孫兵衛船を通して、復興に向かって進 む元気な石巻を世界中に発信したい」と小泉さんは語る。(関 口寛人)
祈りとにぎわいの場、「南三陸ファンに再び足を運んでほし い」  宮城県南三陸町の震災復興祈念公園は、今秋の完成を目指し て整備が進められている。「祈りの丘」や「復興祈念のテラ ス」など一部が昨年12月に先行して開園し、追悼と震災伝承 の場として多くの人が訪れる。  駐車場から続く階段を上がり、らせんを描くようななだらか な道を進んでいくと、「祈りの丘」の頂上(海抜20メート ル)に到着する。志津川湾を背景に設置されたモニュメントに は、犠牲になった804人の名前が書かれた名簿が納められ た。  周辺には旧防災対策庁舎(写真上)があるほか、聖火リレー の到着地となる「南三陸さんさん商店街」が軒を連ねる。聖火 は6月20日にやってくる予定。  商店街でかまぼこ店を営む及川善祐社長(66)は「リレー をきっかけに、南三陸ファンの人たちが再び足を運んでくれれ ば」と話した。(読売機から、鈴木毅彦)

南三陸復興祈念公園=東京本社写真部 上甲鉄撮影

悲しみ 伝え続ける場所  雨上がりの朝を迎えた岩手県陸前高田市の広田湾沿岸。穏や かな海が広がる。9年前、ここを津波が襲った。  大きな細長い建物には、昨年9月下旬にオープンした「東日 本大震災津波伝承館」と「道の駅高田松原」が入る。「道の 駅」の来場者は33万人(2月末現在)を超えた。6月18 日、海の方から建物へと延びる道を東京五輪の聖火が通る。  「亡くなった人を思って手を合わせ、震災を後世に伝えてい く場所ができたのはうれしい」。津波で弟を失った大学生の村 上大介さん(20)が話す。  一帯は高田松原津波復興祈念公園として整備が進められてい る。「震災を忘れないでほしい」。悲しみを胸に歩んできた人 々の思いが込められた場所となる。(上甲鉄)

高田松原津波復興祈念公園=東京本社写真部 鈴木毅彦撮影

希望を運ぶ 次は陸路で 宮城県気仙沼市の沖合に浮かぶ大島に住む菅原進さん(77) は、東京五輪の聖火リレーのランナーに選ばれた。  本土と島を結ぶ「気仙沼大島大橋」が昨年4月7日に開通し た。その前日、住民の足を支えてきた小型の連絡船「ひまわ り」が役目を終えた。主にフェリーの運航が終わる夜間、臨時 船として約7キロ・メートルの航路を行き来した「ひまわり 」。菅原さんが船長だった。  東日本大震災の直後には、人や救援物資などを運び続けた。 功績は今でも語り継がれる。  ランナーの打診を受けた後、菅原さんは週に5日、自宅周辺 や港など約3キロ・メートルを走って、本番に備える。時には トーチと同じくらいのおもりを右手に持つ。  「国内外から多くの人たちが自分の船に乗って大島に助けに 来てくれた。支援への感謝の気持ちが伝われば」。島と本土、 そして住民の命をつないだ菅原さん。6月20日には気仙沼の 街で五輪の火をつなぐ。(鈴木毅彦)
 宮城県石巻市の今野莉希(りき)さん(14)は、東日本大 震災の津波で、3歳違いだった兄の広夢さん(当時8歳)を失 った。兄は児童74人が津波で犠牲になった同市立大川小学校 に通っていた。  大の鉄道ファンだった兄の影響を受けた。莉希さんの現在の 夢は、新幹線の運転士になることだ。兄の夢でもあった。兄弟 で一日中電車のおもちゃを眺めたり、車両を取りあってけんか したり。そんなことがおぼろげながら記憶に残る。  6月21日、東京五輪の聖火リレーでは、同県東松島市を走 行するJR仙石線(野蒜駅―東矢本駅間)で聖火を運ぶ。「兄 なら絶対に見に行くはず」。莉希さんはその日、沿線で五輪の 火をのせる列車を待つつもりだ。広夢さんの遺影とともに。 (関口寛人)

【撮影】読売新聞写真部
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