地下鉄サリン事件25年

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 死者10人以上、負傷者6000人以上の惨事となった地下鉄サリン事件から25年。だれもが「まさか」と思った未曾有の無差別テロ事件を、写真と紙面で振り返る。(文中呼称略)

 1995年3月20日午前8時頃、営団地下鉄(現・東京メトロ)霞ヶ関駅を通る日比谷、丸ノ内、千代田の3路線5車両に猛毒の神経ガス「サリン」がまかれた(写真は、八丁堀駅周辺で被害者の手当てをする救急隊員=読売ヘリから)

 

 乗客たちは口々に「目が痛い」「息ができない」と訴えた。駅の地上出入り口付近は横たわった人々であふれ、救急車両のサイレンが響き渡った(築地駅)

 被害者を運び出す営団職員ら(霞ヶ関駅)

 ガスマスクを身につけた警察官(霞ヶ関駅)

 出動準備をする陸上自衛隊の化学防護隊員(東京・新宿区の市ヶ谷駐屯地)

 「地下鉄に猛毒ガス」の大見出しで事件を伝える1995年3月20日の読売新聞夕刊1面

 2日後、警視庁などは山梨県上九一色村(当時)にあったオウム真理教施設の強制捜査に入った。

 強制捜査は、公証役場事務長に対する逮捕監禁容疑で行われた(1995年3月22日 読売新聞夕刊1面 )

 

 カナリアの鳥かごを持って教団施設に入る警察官

 教祖の麻原彰晃こと松本智津夫が逮捕されたのは約2ヶ月後の5月16日。
 山梨県上九一色村(当時)の「第6サティアン」と呼ばれた施設の隠し部屋に身を潜めていた。

 地下鉄サリン事件の殺人、殺人未遂容疑で逮捕(1995年5月16日 読売新聞夕刊1面)

 警視庁に移送される松本智津夫

 読売新聞は特別号外を発行。人々は奪うように手を伸ばした(JR大阪駅前)

 公判では、弟子だった元幹部が相次いで「教祖の指示」を証言。教祖側は「弟子の犯行」と主張した。東京地裁の判決は死刑。控訴は棄却され、2006年9月に死刑が確定した。
 地下鉄サリン事件は、公証役場事務長拉致事件で強制捜査の可能性が現実味を帯びてきたことから、教団が捜査のかく乱を狙ったものとされた。

 死刑判決で裁判長は「極限とも言うべき非難に値する」と断罪した(2004年2月28日付 読売新聞朝刊1面)

 2018年7月6日、松本智津夫ら教団元幹部7人の死刑が執行された。



 坂本弁護士一家殺害事件や松本サリン事件など、教団が引き起こした一連の事件は、テロ対策や宗教法人のあり方、カルトに走る若者の救済法など様々な分野で課題を残した。

 死刑執行を伝える2018年7月7日付読売新聞朝刊1面

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