戦線を生き抜いた強さと優しさ

旗手 反戦のアルバム

読売新聞オンライン
制作・著作 読売新聞

太平洋戦争の激戦地となったフィリピン・マニラで1954年に開かれた第2回アジア大会で日本選手団の旗手を務めた吉田廣一さん(1967年に死去)が滞在中に戦場の傷跡や現地の人々を撮影したアルバムが故郷の徳島県で見つかった。太平洋戦争中には陸軍大尉として南方戦線を転戦した吉田さんがカメラ越しに訴えた反戦メッセージとは――(写真は徳島県立穴吹高校提供、写真説明は吉田さん本人の添え書きを中心に構成しました)

「重量挙げヘビー級(24貫以上)の表彰式 真ん中ビルマ(六尺)両側は中国 太いのは二十六貫」

「アジア大会参加者の中で最も高貴な方です。アフガニスタンの国王の弟様 立派な紳士で総監督です 私はシャツの着流しですが紳士はいつもきれいにしていました」

「宿舎に来たアメリカの水兵さんと一緒に 航空母艦で重量挙げをしている 両端は兄弟です」※吉田さんは後列左端

「マニラ湾に沈む日本の船です 白い大きいのは違います 6隻沈んでいます こんなのが三、四か所あり、見える船だけで十数隻横倒しになって水面に出ていないものを合わせると数十隻あるそう」

「庶民住宅の兄妹です 細い腕が目につきます 然し又、立派な髪も目につきます」

「大学校内の池で泳いでいる子供です 子供の生活は何れの国も同じです」

「重量挙げの南部良雄選手に集まった子供 子供は太い腕を好むこと、日本の子供と同じです」

「民芸品製作所の池の縁にある子供像 この可愛い顔や無心な手をご覧なさい」

「買い物から帰るフィリピン人の親子 鼻が顔の真ん中で行儀よく座っています」

「練習の帰りに集まってきた子供です 子供は可愛いものです」

「市内の建物に残る弾痕です 撤退時のもので主にアメリカの弾だというのですが いずれにせよ これを見ては感情も悪くなります」

「マニラ学内オリムピック村の宿舎の寝台で一休み」

身長1メートル84、体重85キロで筋骨隆々の体格だった吉田さんは、長崎の平和公園にある平和祈念像(表紙写真)のモデルと伝えられている。

「戦場の一部 マニラ郊外の原野です 日米多数の戦死者の墓標があり 激戦の跡が偲ばれます 兵器の残骸が今尚転がっています」

「戦争に使った兵器の残骸です 主に通信兵器の様です」

「戦争中僅かな期間であったが 訪れたことのあるマニラ市に再び訪れる機会を得て非常に懐かしく あれこれ目に映るものを何でもかでも撮った…」※復員後に教員として勤めた徳島県立穴吹高校に寄贈したアルバムに自筆で記されている。

【提供】徳島県立穴吹高校【制作】読売新聞東京本社
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