蚕室に流れ込んだ土砂を、仲間とかき出す目黒さん。被災から約1か月がたち、冬の気配を感じる季節になっていたが、額には大粒の汗が流れていた(2019年11月9日)
※写真はすべて、宮城県丸森町で撮影
被災から約1か月。地元の人や養蚕家仲間の力を借りて泥をかき出す作業が続けられていた(2019年11月9日)
蚕室に流れ込んだ土砂を、仲間とかき出す目黒さん。被災から約1か月がたち、冬の気配を感じる季節になっていたが、額には大粒の汗が流れていた(2019年11月9日)
今年の養蚕が始まった朝。桑を刈り取る目黒さんを、初夏のやさしい日差しが照らしていた(2020年7月3日)
(2020年7月3日)
刈り取った桑の葉を蚕室に運び込む目黒さん(2020年7月3日)
被災から立ち上がり、今年の養蚕を始めた目黒さん夫妻。約6万匹の蚕を蚕棚に移した(2020年7月3日)
(2020年7月3日)
(2020年7月3日)
昨年の台風19号の被害を乗り越え、繭の出荷日を迎えた目黒啓治さん(左から3人目)(2020年7月27日)
被災後初めて繭の出荷日を迎えた目黒さん(左から3人目)。はかりを見守りながら、「お蚕様に振り回される毎日だったなあ」と笑顔を浮かべた(2020年7月27日)。「あの人がいたから、みんなでここまでやってこれた」。目黒さんが亡くなった後、養蚕仲間たちは、悲しみを抑えて目黒さんが育てるはずだった蚕を受け継ぎ育てた
糸を吐くようになった蚕を繭用の木枠に移す「上蔟(じょうぞく)」の日はあわただしくもにぎやかな一日だ。地元の人たちが手伝いに来て、お盆で帰省した孫たちも加わった。飼育小屋前で、アイスクリームを食べながら、和やかな時が流れた(2020年8月11日)
「いい繭を作ってもらうには温度管理が大切なんだ」と目黒さん(2020年8月11日)
最も忙しい「上蔟」の日、大きく育ち、糸を吐くようになった蚕を繭を作る木枠に移す目黒さん。この日が目黒さんにとって最後の上蔟となった(2020年8月11日)
目黒さんの桑畑には台風で流れ込み、片付けられた大木などが積み上げられたまま(2020年8月10日)
亡くなった目黒さんが最後に作った繭(2020年9月3日)
目黒さんが亡くなった後、小野昭一さん(69)ら養蚕仲間は、悲しみを抑えて、目黒さんが育てるはずだった蚕を受け継ぎ育てた(2020年9月4日)
目黒啓治さんが最後に残した繭から糸を紡ぐ星とみ子さん(80)。「目黒さんの繭はほかのとやっぱりどこか違う。亡くなったなんて今でも信じられない」。カラカラと器械を回す音が寂しく響いた(2020年9月28日)
「目黒さんが作る繭は安定して糸が出て、色合いもいい」。目黒さんが最後に残した繭から糸を紡ぎ出していた星とみ子さんがつぶやいた。カラカラ、カラカラ……。器械を回す音が響いた(2020年9月28日)
目黒啓治さんが最後に残した繭から糸を紡ぐ星とみ子さん(2020年9月28日)
目黒啓治さんが最後に残した繭から星とみ子さんが紡いだ糸(2020年9月28日)
養蚕が盛んだった丸森町。町内の神社にはネズミから蚕を守る猫が「猫神様」としてまつられている(2020年7月3日)