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資金とポスト、研究者の育成を…瀬戸際の「科学技術立国」

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 「科学技術立国」は過去の栄光なのか――。日本の研究力の地盤沈下に対する懸念が広がり、政府も危機感を強めている。研究の成果である学術論文は質・量ともに低下傾向が続き、世界の中での存在感の低下が著しい。大学の運営や研究費の問題に詳しい豊田長康氏は、日本が世界にしていくために、研究者の環境を整え直し、科学研究の層の厚さと広がりを取り戻すことが急務だと指摘する。(編集委員 古沢由紀子)

研究水準は急速に低下

ノーベル賞授賞式で、スウェーデンのカール16世グスタフ国王(中央右)から化学賞のメダルと賞状を受け取る吉野彰・旭化成名誉フェロー=代表撮影。ストックホルムで。2019年12月10日撮影。
ノーベル賞授賞式で、スウェーデンのカール16世グスタフ国王(中央右)から化学賞のメダルと賞状を受け取る吉野彰・旭化成名誉フェロー=代表撮影。ストックホルムで。2019年12月10日撮影。

 ノーベル賞受賞が続いたこともあり、日本の科学研究は世界のトップレベルだと思っている人は多いでしょう。残念ながら、この15年ほどで研究水準は急速に低下しており、今後、日本人受賞の確率は低くなるはずです。

 各国の研究水準の指標となるのが、国際的に発表される学術論文。総数を比較するだけでなく、他の研究者に引用される回数が多い論文は影響力、注目度が高いとみなされます。

 文部科学省の科学技術・学術政策研究所によると、自然科学系の日本の論文数は、2004~06年の平均で米国に次ぎ2位でしたが、急伸する中国やドイツに抜かれて16~18年は4位に。引用数上位10%の注目度の高い論文はイタリアやオーストラリア、カナダにも抜かれ、16~18年は9位に沈んでいます。人口当たりの論文数を計算すると30位以下で、先進国から取り残された状況です。

 英国の教育専門誌「タイムズ・ハイヤー・エデュケーション」が昨年発表した世界大学ランキングで上位200位に入ったのは、東京大(36位)、京都大(54位)のみ。論文の引用数が評価で大きな比重を占めるため日本の大学は苦戦し、安倍内閣が掲げた「23年までに世界のトップ100に10校以上」という目標は非現実的になっています。

 なぜ、これほど研究力が低下したのか。中国のほか米国や欧州でも政府の研究投資額が増えているのに対し、日本は厳しい財政事情から、公的な研究投資額が停滞してきたことが大きいでしょう。

 経済協力開発機構(OECD)のデータを分析すると、各国の論文数や政府の研究投資と国民1人当たりの国内総生産(GDP)は比例します。高い研究力が技術革新を生み、GDPを押し上げる原動力になることを多くの人に認識してもらう必要がありますね。

  メモ …中国を始め各国で論文数が増え国際競争が激化する中、英科学誌ネイチャーは2017年に「日本の科学研究の失速」を指摘した。政府は21年度、10兆円規模を想定した大学の研究開発を支援する基金を設立し、若手研究者の待遇改善を進めるなどのテコ入れを図る。

研究に専念できる環境が損なわれた

 私は三重大学長時代の04~08年度、国立大学協会で大学病院の経営問題を担当し、各大学のデータの収集、分析を重ねる中で研究環境の悪化に危機感を抱きました。その後、国立大の財務・経営の調査に携わる独立行政法人の理事長を務め、個人的にも国際的なデータの分析などを続けています。

 日本の研究力低下の推移をたどると、04年度の国立大学法人化に伴う影響が浮かび上がります。政府は、国立大が教員の人件費や研究費などに充てる基盤的な運営費交付金を年々削減してきました。

 そのため、多くの大学が退職者の補充をしないなど新規採用を抑制しました。学生数は変わらないので教育や事務作業の負担が増え、研究に専念できる環境が損なわれた。若手にポストが回らず、不安定な数年間の任期付き雇用が増える要因になりました。

三重大医学部の教員時代は、診療を終えた後、深夜まで研究に励む日々だった。「新しいことを見つけ、ものをつくり出す研究の面白さを、多くの若い人に味わってほしい」(三重県鈴鹿市の鈴鹿医療科学大で)=鈴木竜三撮影
三重大医学部の教員時代は、診療を終えた後、深夜まで研究に励む日々だった。「新しいことを見つけ、ものをつくり出す研究の面白さを、多くの若い人に味わってほしい」(三重県鈴鹿市の鈴鹿医療科学大で)=鈴木竜三撮影

 私は若い頃、米国の大学で研究に携わった経験がありますが、若手でも認められれば豊富な資金を得て研究室を構え、助手などを数十人雇っている教授もいた。日本の大学は分野ごとにポストの数が限られ、縦割りで硬直的な仕組みも残ります。近年、容易に研究職に就けない日本を離れ、中国へ流出する若手研究者が増える傾向には少し心配をしています。

国全体で論文の質・量を高めていく

 もっとも、大規模な有力大に投じられる研究費は増えています。政府は運営費交付金を削減するとともに一部を傾斜配分し、公募型の競争的資金などを拡大する「選択と集中」を進めてきました。政府が重点を置く特定分野に巨額の資金が投入され、研究費が集まりやすい東大や京大と、財政基盤の弱い中小規模の大学との格差は拡大しています。中堅大学では、若手を育てる研究室の維持にも苦心する状況です。

 問題は、潤沢な資金を得たはずのトップ大学の研究も思惑通りにいかず、伸び悩んでいることです。大型プロジェクトへの集中投資は一種の賭けで、全体の予算が限られる中でメリハリをつけすぎるとリスクが大きい。公募で選ばれやすい短期的な成果を求める研究が目立つ傾向も指摘されています。

 日本のノーベル賞受賞者には、むしろ地方の大学で研究した経歴が目立ちます。データを分析すると、公的な研究投資額に応じた注目度の高い論文の生産性は、大規模大学と地方大学で同程度です。トップ大学に頑張ってもらうとともに、恵まれない環境で奮闘する研究者の芽も伸ばし、裾野を広げることが、日本全体の競争力向上につながると考えます。

 国立大の運営費交付金は近年、法人化時点から約1割削減された水準のまま推移しています。これまでの政策を検証し、国全体で論文の質・量を高めていくことを考える必要があります。プロジェクト型の競争的な資金配分も大切ですが、研究者の人件費を中心とする基盤的な資金を幅広く確保し、意欲と適性を持つ研究者が研究に専念できる環境を整えるのが先決です。

若手が将来に向けて希望が持てる環境を整える

 地方創生の一環で、政府が地方の国立大での定員増を打ち出したことは歓迎します。学生数に応じて教員が増えれば、研究や産学連携に充てる時間も増えるでしょう。学部などの拡充は、各地域の私立大と競合しない形を望みます。 私立大にも優秀な教員は多いのですが、少子化と大学進学率の上昇などで、入学後の補習など教育の比重が拡大しています。地方の国立大も含め、教員の研究力をいかに引き出し、地方創生につなげられるかが鍵になると思います。

 もちろん、公的資金だけに頼らないことも大切で、国立大は法人化以降、外部資金の獲得額が着実に伸びています。特に地方の大学は、地域の産業との連携がこれまで以上に求められています。

 私が学長を務めた三重大では、全国に先駆け、大学院に「地域イノベーション学研究科」を開設しました。その博士課程に、現職の地元企業社長や農園経営者らが相次いで入学したのです。若い学生の刺激になり、産学連携が進みました。最先端のトマト栽培施設で高収益の農業が実現したり、老舗食堂が人工知能(AI)による来客数予測システムを開発したりと、様々な事業の創出につながりました。

 現在学長を務める鈴鹿医療科学大も、東洋医学や食の分野などで地元の企業と連携しています。

 国内の博士課程進学者は03年をピークに大幅に減りました。懸念されるのは、優秀な若者が研究者を目指さなくなる事態です。企業が博士号取得者の採用に消極的な傾向に加えて、大学で任期を限った雇用が増え、安定的に研究できる見通しが立たないためです。

 政府が新たに博士課程の学生の経済的支援を拡充するのは朗報ですが、根本的な解決にはなりません。若手が将来に向けて希望が持てる環境を整え、多様な研究の芽を育てることが大切です。

「大学の基礎研究は危機的な状況だ」と語る豊田長康・鈴鹿医療科学大学長(三重県鈴鹿市で)=鈴木竜三撮影
「大学の基礎研究は危機的な状況だ」と語る豊田長康・鈴鹿医療科学大学長(三重県鈴鹿市で)=鈴木竜三撮影
プロフィル
豊田 長康氏 (とよだ・ながやす)
 鈴鹿医療科学大学長。元三重大学長。三重県生まれ。大阪大医学部卒。専門は産科婦人科学。三重大教授、独立行政法人国立大学財務・経営センター(現在は別の組織に統合)理事長などを歴任。大学の研究に関する様々なデータを徹底分析した著書「科学立国の危機」を2019年に刊行した。
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1809480 0 科学・IT 2021/01/31 08:46:00 2021/02/05 14:20:11 2021/02/05 14:20:11 あすへの考・鈴鹿医療科学大の豊田長康学長(11月6日、三重県鈴鹿市の同大で)=鈴木竜三撮影 https://www.yomiuri.co.jp/media/2021/01/20210127-OYT1I50019-T.jpg?type=thumbnail

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