異例だった「2月2日」の節分、実は将来主流に
完了しました
節分に「鬼は外」と豆をまく習わしは、疫病退散の儀式が起源とされる。今年はコロナ禍に加え、映画が大ヒットした「
立春の前日 2月3日とは限らない
「恵方巻きを売り出すけれど、協会のサイトでは2日となっている。間違いでは?」(スーパー店長)、「いつも通り3日に豆まきをしてもバチは当たりませんよね」(幼稚園教諭)……。
一般社団法人「日本記念日協会」には、今年に入って節分関連の問い合わせが相次いだ。同協会の加瀬清志・代表理事(68)は「長年の慣れで、節分は2月3日と思い込んでいた人が多かったようで」と苦笑いする。
節分は「立春」の前日を指す。大みそかと同様、新たな春を迎える大事な日だ。だが、過去をひもとけば、今年のように「2月2日」だったこともあれば、37年前のように「2月4日」にずれ込んだこともあった。
1年は365・2422日 端数でずれる
立春や節分は、端午の節句(5月5日)や七夕(7月7日)のように日が定まっているわけではない。立春をはじめ

これらの日付がずれるのは、地球が太陽を1周するのにかかる時間、つまり1年が365日ぴったりではなく約365.2422日で、端数(6時間弱)を持つからだ。放っておけば暦に混乱を来してしまうため、人類は古来、ずれと闘い続けてきた。
1年を365日とする暦を作ったのは、約6000年前の古代エジプト人だ。4年に1日ほどずれるため、古代ローマのユリウス・カエサルは、4年ごとに366日の「うるう年」とする暦(ユリウス暦)を導入した。
紀元前45年から1600年間以上も欧州でこの暦が使われたが、約128年に1日ずれるため、16世紀中頃には暦の日付と季節のずれが10日ほどになってしまった。そこで当時のローマ教皇グレゴリウス13世は、日付を補正した上で、うるう年のうち1900年のように100で割れる年は平年に、2000年のように400で割れる年はうるう年のままとした。400年に3回、うるう年を間引くことで、ずれは3200年余りで1日にまで激減した。これが現行の暦(グレゴリオ暦)だ。
こうしたずれと補正によって、今後は2057年まで、4年に1回ずつ節分が2月2日になる。その後は2月2日の割合がさらに増え、2100年までは4年に2~3回ずつになる。つまり、異例だった今年の節分の日付が、将来は主流に打って変わるのだ。