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[時代の証言者]パリダカの勇士 篠塚建次郎<20>WRC 日本人初の優勝

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WRC初優勝を飾った1991年のコートジボワールを快走する篠塚さん。沿道では現地の住民や家畜の歓迎を受ける
WRC初優勝を飾った1991年のコートジボワールを快走する篠塚さん。沿道では現地の住民や家畜の歓迎を受ける

 ドライバーとしての純粋な能力が問われるのは、冒険的要素が強いパリ・ダカールよりもWRC(世界ラリー選手権)と言えます。その意味では1991年のWRCコートジボワール総合優勝はうれしかった。学生時代からの夢だったし、勝ったときも夢見心地でした。

 《91年10月31日、西アフリカの熱帯雨林を舞台としたWRCコートジボワール最終日、篠塚建次郎(ギャランVR4)は2位に大差をつけてアビジャンにゴールした。総走行距離3270キロを5日間で争う長丁場。出場37台のうち完走はわずか9台だった》

 日本人がWRCで勝ったのはこれが初めてでした。僕がWRCに復帰した89年、「3年計画で優勝する」という目標を立てたのですが、言葉通りの成果でした。周囲の方々からの「日本のラリー界に一つ風穴を開けた」という評価もありがたかった。

 コートジボワールはフランス語で、英語ならアイボリーコースト、象牙海岸ですね。乾いた赤土の路面は巻き上がる土ぼこりがすごかった。90年は早く抜いて前に出るという焦りから予期せぬ大穴に突っ込んでリタイアしました。その反省もあって7番目スタートの91年は、5日間の耐久ラリーなので落ち着いて走ると自分に言い聞かせました。一つ、一つ抜いて着実に前に出る作戦です。それが奏功して初日の700キロで首位に立ちました。正午にスタートし、翌日未明2時にゴールする最長区間1087キロの3―4日目を終え、2位に大差がつきましたが気は抜けません。

 WRCでもコートジボワールとサファリは、ルートを閉鎖できないのです。まれに高速走行中、一般車両とすれ違いますから、慎重さを欠いてはいけないし、走行ペースを崩してもいけなかった。タフなレースでしたね。76年に初めてWRCに参戦してから15年での初優勝です。参戦当初は世界のトップとの速さの違いを痛感させられただけに、パリダカで勝った時以上の達成感がありました。

 92年も連覇しました。走行距離は同じ3000キロですが、3日間に短縮されていました。初日に100キロぐらい走ったところでターボが壊れました。何とかメカニックの待機場所にたどりついて直しましたが、少し走るとまた壊れました。前年優勝でゼッケン「1」の1番スタートなのに、初日に1時間半の遅れで7位後退です。もう車が壊れてもいい、リタイアでもいいと、アクセル全開で前を追いました。2日目を終え首位に36分差の3位です。外気温40度、車内は50度に達しようという熱帯雨林を走り、ゴールしたら優勝の結果が待っていました。

 この年は、ギャランVR4最後のレースでした。翌シーズンからはランサーエボリューションに移行します。だから、この年は「絶対に勝つ」「狙って勝つ」が僕の思いであり、メカニックたちの願いであった。メカが涙、涙で歓喜してくれた。ひと味もふた味も違う、本当にうれしい優勝でした。(ラリードライバー)

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1371471 1 時代の証言者 2020/07/29 05:00:00 2020/07/29 05:00:00 WRC初優勝を飾った1991年のコートジボワールを快走する篠塚さん。沿道には現地の住民や家畜の歓迎を受ける https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/07/20200728-OYT8I50107-T.jpg?type=thumbnail

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