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[時代の証言者]囲碁と生きる 趙治勲<5>天才児 負け続け悲観

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「木谷一門百段突破記念大会」で林海峰六段(当時、左)と対局する趙さん(日本棋院提供)
「木谷一門百段突破記念大会」で林海峰六段(当時、左)と対局する趙さん(日本棋院提供)
黒36つぐ(31) 木谷一門百段突破記念大会席上早碁 六段―林海峰 五子―趙治勲 118手投了、黒中押し勝ち
黒36つぐ(31) 木谷一門百段突破記念大会席上早碁 六段―林海峰 五子―趙治勲 118手投了、黒中押し勝ち

 日本に着いた翌日の1962年8月2日、東京・大手町のサンケイホールで、「木谷一門百段突破記念大会」が開かれました。木谷(実九段)先生の門下生のプロとしての段位が合計で100を超えたというお祝いの会です。その日のアトラクションとして行われたのが、ボクと林海峰名誉天元(当時は六段)との五子局でした=棋譜=。

 《林名誉天元(78)は中国・上海生まれで台湾で育った。10歳の時に台湾を訪れた呉清源九段に才能を認められ来日、12歳で入段した。1965年に23歳で名人(当時史上最年少)になった後、長年にわたって第一線で活躍。タイトル獲得数は歴代9位の35に上る。弟子に張栩九段、林漢傑八段ら》

 当時の写真が残っていますが、対局しているボクは腕組みをして考えています。これは早打ちだったボクがミスをしないようにという、兄・祥衍の助言なのだそうです。慌てて石を持たず、一呼吸置いて考えて打ちなさい、ということなのでしょう。

 この時の碁は、今のボクが見ても「プロの鑑賞に堪える」内容の碁になっています。「ソウルからの天才児」という評判で来日したボクが内弟子になってすぐ、これだけの力を見せた。喜んでくれたのは木谷先生でした。

 「これなら10歳までにプロの初段になれるだろう」

 その時は、軽い気持ちで周りに話したのでしょうが、その言葉が後々、ボクに重くのしかかってくるのでした。

 さて、木谷道場で内弟子生活を始めたボクですが、いきなりカルチャーショックを味わうことになりました。加藤正夫名誉王座、石田芳夫二十四世本因坊、佐藤昌晴九段、久島国夫九段……とにかく周りの兄弟子たちが強すぎたのです。

 韓国にいたころは、近所の碁会所でおじさん、おじいさん相手に連勝して、少しは腕に自信を持っていたのに、何子置いても勝負にならない。「ボクは一体、何をしに日本に来たのだろう」。そこで心が折れたのではないか。今にしてみると思います。

 というのも、それからしばらく、10歳ぐらいまで、木谷道場で一体何をしていたのか、ボクはまったく覚えていないのです。心が折れたまま、勉強もせず、ただただ遊んでいたのでしょう。強烈な先輩たちと出会い、天狗てんぐの鼻をへし折られた。囲碁も人生も、ボクは「悲観派」なのですが、そうなった原点は、この時にあるのではないか、と思っています。(囲碁棋士)

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使い方
1703373 0 時代の証言者 2020/12/16 05:00:00 2021/01/12 18:33:19 木谷一門百段突破祝賀会で林海峰(左)と対局する治勲 =日本棋院提供= 取り扱い注意 https://www.yomiuri.co.jp/media/2020/12/20201215-OYT8I50085-T.jpg?type=thumbnail

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